床屋にいけなくなった

床屋にいけなくなった。

近くのショッピングセンターにある安い床屋を利用していた。
人といることにあまり耐えられないので少しでも客がいない時間、開店直後を狙って行ってみたが、わずかに客が並んでいたらもう恐ろしくて、待つことが出来なかった。

今どきの安い床屋はとても良かった。
15分で終わるし、専用の掃除機(?)で切った髪を吸い取るのも合理的でとても良い。
少し前まではそこまで客があふれることがなかったのに、近頃はいつ行っても何人も待っている。

スーパーやコンビニ、病院でさえ他の人は無頓着に人にぶつかったり叩きつけたりする。自分がやられても平気だからそう出来るんだ。
でもこちらは平気ではない。右側はいい。まだ昔に近いから、コンクリブロックを投げつけられるぐらいまでならケロリとしている。
でも左はそうはいかない。小さな子供がぶつかっても、なにかが軽くかすっても、左腕の発作が始まる。鈍いスライムのような痺れが広がり、指先から動かなくなっていく。左腕が痺れ、痛み、硬直し、使い物にならない肉の塊になる。
再び動き始めるまで、わずかに動き出すまでも早くて30分、遅ければ数時間、まともに(とは言っても人並みの半分程度)に動くようになるには早くて半日、たいていは数日、酷ければ1週間以上も戻ってこない。

だからあの狭い椅子で隣に人が座って待つなどとても出来ない。
どうせこちらが痛みを訴えてもトボケルか逃げ出すか言い訳するかで、最初から謝るやつになど出会ったことがない。加害者と同じ、偽善者ぶった卑怯者ばかりだ。

どんどん酷くなっていく。
どんどん出来ないことが増えていく。
どんどん誰ともいられなくなっていく。
そうでなくても平気な人など、疑わずにいられる人など、これまでにでさえ片手にも届かないのに。

どうして普通の人は、謝ることを避けようとして言い訳ばかりを繰り広げるのだ?
どうしてそれらにやられて傷ついて病気になった側が、我慢して気を使って避けているのに、端を歩いているのに、大手を振って、それこそ振り回して、こちらを殴っておいて誤りもせずに逃げるんだ?

でも私には善悪よりも、一貫性が一番納得できるから、
そんな嘘つきはその行動に背かぬよう、
自分の友人にも恋人にも子供にも親にも誰にも彼にも嘘をつき、それらの人が困っていても気付かなかったふりをし、自分が危なくなればためらわずにそれらの人を盾にし犠牲にし、自分だけを守っていって欲しい。
そうしてもらえれば、私は諦めが付くのだから。

健康診断にて

先日、会社で健康診断がありました。

私の働いている場所の近くまで健診車(レントゲン車)がやってきて、近くの公民館のような場所にて受けたわけなんですが…
身長、体重、視力関係、聴力までは無事にクリア。

次に胸部レントゲンに行ったのですが、ここで軽く問題発生。
ちょっとした衝撃で左腕や左脚、左半身が硬直・麻痺する私なので技師に
「勝手に触らないで下さい」
と告げる。
しかし左の首の根本~肩~背中のどこかに衝撃を感じた(左半身は触覚がおかしいので詳細箇所は不明)。
「触るなって言っただろう!!」
と大きな声を出して振り向く。
技師は驚いた表情で手を引いていた、おそらく押すか叩くかしたのだろう。

今思い返せば、あの時以降から左腕の異常が始まっていたのだと思う。

続いては採血と血圧、これは私の体の都合で少し配慮してもらい、手の甲辺りからの採血と手動での血圧測定となる。これはなんとか無事にこなす。

次に受けたのは心電図だが、寝た時に異常に気が付いた。
左肘が少し曲がった状態で、左腕は寝台から浮いている。力も入れておらず、私はその状態になんの負荷も感じていない。
これは私の左腕に発作が出た時に現れる症状で、筋肉硬直の有無にかかわらず左肘が少し曲がった状態がデフォルトになってしまうという、他に聞いたことがない症状だ。
今朝、起きた時にはこのようなことはなかった。
可能性があるのは、先程のレントゲン技師の接触だろう…だから触るなと言ったのに…
その状態を見て心電図担当の人も「一番楽な体勢でいいですよ」と言ってくるが、実はこの発作が出ている時にはこの状態が楽というか苦痛を覚えないため、このままで大丈夫と伝える。

不安を覚えつつ問診へと移る。
すぐに診断に入ると思いきや、医師は何やら首のこととかを酷く心配しているふうだった。
表向きそう見せていただけかも知れないが(これまでの経験で簡単には医師を信用出来ない私です)、あまりにしつこいので私から「そろそろ目とか胸とか見ましょう」と診断に移らせる。
それが終わってもまたいろいろ話してくるから、最中的に私が「キリがないのでこの辺で」と終わらせた。
これまであの健診センターには、レントゲン技師に暴力を振るわれ、医師には最初から勝手に決め付けられてこちらの話は聞いてもらえず、という対応がほとんどだったので、正直驚いた。
でも私は「病気がストレスになっている」わけではない。「ストレスが病気の後押しをしている」のだ。
だから延々と話をしても意味がない仕方がない。私が話をして少しでも救われる人など、片手ほどもいないのだから。

私の体の都合でバリウムは拒否したため、残るは超音波検査だけとなった。
だがここで予想外の事態が発生した。
途中で「両手を後ろに回して体を斜めで支えてください」と言われたのだ。
左腕が動かせず不自然に浮いているのは見ているはずで、なぜそんな無理を言うのだろうと思いながらも右腕でなんとか無理やり体を斜めに支えてみる。
すると「じゃあいいですよ、楽にしてください」と言われる。
首に負担をかけながらやったにも関わらず、その状態ではエコーを取らずに終了。
すると何を思ったのか、今度は左腕に機械をぶつけるようにしながら測り始めた。
私は何度も痛みを訴えるがまともに取り合ってはくれない。
事前の問診票にもケイツイヘルニアや左半身に後遺症があることは書いてあったはずなのに、またそれを読むこともせずに扱われたのだろう。
何度もぶつけられるのを我慢し終えた後、超音波検査は終了した。
しかし私の体はそのダメージに耐えられず、寝台から降りようとした際に転落した。
慌てて駆け寄ってくる超音波の女、よほど大きな音が鳴ったのだろう、外からも声が掛けられ他の検診センターの人も集まってきた。
「大丈夫ですか?」
と言われ腹が立った。痛いと何度も訴えたのを無視して自分の仕事だけを優先しておいて、どの口でそれを言うのだ。
そして左腕に触ろうとしたので、
「だから触るなって言ってるだろう!!」
と怒鳴り散らした。

また検診センターにやられた。
何度言っても、どれだけ問診票に書いても、どれだけ痛みを訴えてもこうやられる。

結局、仕事が出来る状態じゃないので昼で帰ることにした。

悔しい、苦しい、辛い、やり返せたら少しは楽だろうに、周りはそれを禁じるだけで、どうしてそう思うのかには触れようともしない。
どうせまたキチガイだと言われ思われ、さらにハブられることなんだろう。

踏みとどまりたいと願っているのに…

固定化する症状と、新たな症状

この頃、私は週に3~4回通院していた。
毎日でも通院して構わないと言われていたが、正直体力がもたなかった。

なんとか調子の良い日に病院に行く。
治療は痛み止めの注射を2種類受けて(皮下注射と血管注射)、その後リハビリ、機械で首を引っ張り、胸に丸いパットの電気、そして首、肩、左腕に2箇所と左膝に電気、その後マッサージ。およそ2時間ほど掛かった。
終わって家に帰ればもう動けない。ベッドに横たわったら最後、体を起こすことも難しい。あまりの痛みに体が動かない。トイレに起きることさえ出来ずにそのまま漏らしたことも多数ある。

それでも僅かずつ首と左腕の可動域が広がっていったこともあり、痛みに耐えながらの通院を続けていた。

しかしこの頃から、症状が固定化していった。

首の動きが良くならない。左腕の可動域も広がらず、突然何も感じなくなって目で見ないと腕が生えているのかも分からなくなる。

薬を飲んでいても痛みが引かない。市販薬のナロンエースとインドメタシンの湿布を大量に用いて誤魔化して寝る。
寝るのも首が痛すぎてすぐに目が覚める。寝返りも打てない。寝るほど痛みは増す。でも体を起こすことも出来ないことが多く、ただただ痛みを増すために寝ることしか出来ない。
そして気が付いたことがある。
左の肘を曲げることと、左肩で腕を上げること、その差が分からない。そもそも本来の動きには程遠いのだが、左肘を45度弱まで曲げると、私の感覚的には左腕をまっすぐ上に上げている感覚と同じなのだ。また肘を曲げずに腕を上に上げる(とは言え肘の高さぐらいまでしか上がらない)、これもまっすぐ上に上げている感覚だ。
つまり私は、左肘と左肩の区別がついていないようだった。
また左腕全体の神経がとても過敏なようで、葉っぱ1枚が触れただけでも激痛が走る。腕の骨の真ん中が痛むのだ。
結局、これらの固定化された症状は、今でもほぼ変わっていない。

また新たに気づいた症状らしきものもいくつかある。

ある暑かった日、私は暑いとも感じていなかった。
しかし服は汗だくで、『暑かったのか』とそれで気付いた。
後にはっきりとすることだが、この頃から私は気温の変化を実感しておらず、熱さ冷たさは感じ始めるまで時間が掛るもののなんとか分かるのだが、どれだけ暑くてもどれだけ寒くても私の主観は感じていない。
今でもとても困っている。

尿意と便意もほとんど感じなくなっていると、何度か漏らしてから気付いた。
尿意も便意も、ギリギリにならないと分からない。
だから時間があればトイレに行ってできるだけ出す癖がこの頃に身についた。

唾液も出なくなった。
口の中で濡れているのは下の前歯の後ろと舌の裏だけ、あとはカラッカラに乾いている。
飲み物を飲んだり飴を舐めたりしてみるも、潤うのはその直後だけ。
1年後に始まった困った事象の原因の1つがこれにあると、私は考えている。

突然倒れることも多くなった。
意識はある、しかし天地が分からなくなる(平衡感覚?脳内の何か?)、結果ぶつかったり崩れ落ちたりする。
意外にも車では平気だった。シートベルトで固定しているので倒れないし、天地が分からなくなるのに視界が歪んだりとかではないことが理由だと思う。
倒れるのはほとんどが家の敷地内で、外では倒れない。緊張している時には平気なようだった。

あの頃はまだ、「そのうち治るのだろう」と思うことが出来る自分がいた。
それ以上悪化することや、他に例を聞かないようなおかしな症状、そして治らぬまま10年以上が経過することなど思いもしなかった。

生活費

祖父が亡くなり、少し経って、ふと気がついた。

私はどうやって自分の生活をしていけばいいのだろうか?
事故に遭い仕事を失い身体も悪くし、今はまだ事故直前に働いた分の給料で暮らしているけれども、その後が続かない。
現状働こうにも働けない、まともに歩けないことも珍しくない状態ではその見通しすら立たない。立つはずがない。

そこで私は教職員共済に電話し、なんとか出来ないかと相談することにした。

私「ちょっと聞きたいことがあるんですが」
教職員共済「なんでもお聞きください、力になりますよ」
私「私、働けないんですよね」
教職員共済「えっと…軽傷と聞いてましたがまだ働けない?」
私「いや…これまで何度も説明してきましたよね?事故の影響で働けなくなって仕事を無くしたことも、まともに生活することも難しいって」
教職員共済「はい…いやでも病院では…」
私「だからそれもまともに診てもらえないからって別の病院にしたじゃないですか?それもそちらが言い出したことですよね?」
教職員共済「分かってますけど…軽傷と聞いていたので…」
私「…それで相談なんですけれど、生活は保証してはもらえないんですか?」
教職員共済「生活保障…ですか?」
私「はい。私は加害者から『任意保険が全て面倒見てくれる』と聞いています。このままでは私は収入ゼロで生活も出来なくなりますよね?」
教職員共済「はい…」
私「ですからその生活を保証してはもらえないのかと聞いています」
教職員共済「…」
私「出来ないんですか?」
教職員共済「…分かりました、生活費を出します」
私「本当ですか?ありがとうございます」
教職員共済「月12万円で足りますか?」
私「…え?」
教職員共済「ですから月12万円で足りますよね?通院費はお支払いしていますし」
私「いやいやいや…あの…私は今料理も出来ないし、家のこと何も出来ないような状態なんですよ、分かります?」
教職員共済「はい…」
私「事故前の給料を保証してもらえるんじゃないんですか?」
教職員共済「…」
私「またこっちが我慢しなくてはいけないんですか?車の精算もそう、眼鏡だってわざわざ安い眼鏡を選ばされて、またですか?」
教職員共済「分かりました、事故前の給与を保証いたします」
私「…それは本当ですよね?」
教職員共済「もちろんです」
私「生活保障として事故前の給与を保証してくれるってことですよね?」
教職員共済「その通りです」

このようなやり取りで、私は翌月以降に働いていた時と同程度の金額を出してもらえることとなった。

この時の私は『本当に救われた』と安心していた。
しかし1年後、それが保証でもなんでもなかったことを突然告げられる。
本当に、今思い出しても悔しくてたまらないが、この時の自分には知る由もない。

4月17日

突然遭遇した交通事故からちょうど1ヶ月後の4月17日、いつものように病院に行き、夕方に実家を訪れると、部屋に祖父がいなかった。
危篤となり緊急入院したとの話だった。

急ぎ病院へと向かう。

ベッドの上の祖父は呼吸器を付け眠っていた。
呼びかけにも反応しない。ただ呼吸器により息をしているだけ。
呆けていろんなことを忘れていったが、最後まで私のことは分かっていた祖父だったが、結局亡くなるまで意識が戻ることはなかった。

実家に戻ると二親からこんなことを言われた。

「落ち込むとかわいそうだから、ばぁちゃんとお前の子供は見舞いに連れて行くな」

私はこの言葉が理解できなかった。
本人の意志はいいのか?
かわいそうかどうかは周りが決めることなのか?
それは単に落ち込ませたら自分が悪いことをしたと思うから言っているだけではないのか?

だから私は祖母に訊いた

私「じさまいなくなっただろ?」
祖母「今日は見てないね」
私「病院に入院している。良くないみたいだ」
祖母「はぁ…」
私「どうする?会いに行くか?」
祖母「…行きたいね」

私の子供も同じ答えだったので、私は二親の言葉を無視して祖父の入院する病院に連れて行った。

祖母は祖父を見て顔を撫でて、

祖母「もう駄目だね」

と言った。

帰りに車の中で祖母は言った。

祖母「あれはもう長くないね…駄目だね…近い内にそうなるから、悪いけど葬式とかお願いね…ばぁちゃんはもう弱って座っていることも辛いから全部任せるよ…」

祖父は2008年4月26日に亡くなった。

祖母は葬儀には出ず、棺に入った祖父の顔を何度か眺めただけだった。

祖父母の通院のために買ったスズキのパレット。
納車から半月で事故に遭い、そのまま廃車となり、それに一度も乗ることなく祖父は死んだ。
葬儀の合間にも通院しなければならないのが苦しかった。

銀のパレットと白いパレット

教職員共済が用意していて代車のパッソは30日で返却することとなった。
まずは加害者にも話をしておこうと電話をかけてみました。
しかし呼び出し音は鳴るものの、加害者はいっこうに電話に出ません。
そこで私はディーラーへ相談に向かいました。
代車は教職員共済が私のディーラーに連絡して手配させる、という手段で私に渡っていたので、どのみちディーラーに行かねばなりません。またそもそも事故に遭った車の代わりとなる車の購入の話で会うことになってもいました。

店舗に到着すると、私の担当の店長は教職員共済とのことをすでに知っているらしかった。

店長「代車の返却期限が迫っていますよね」
私「そうみたいですね…私はそんな説明聞いてなかったんですが」
店長「そうですか…ところで新しいお車をご購入されることをお決めいただいたとか」
私「はい…なんとか加害者からも出してもらえたので精算できるので」
店長「それはよかったです、それなら代車を出せますよ」
私「え?代車が出るんですか?」
店長「購入が決定すれば出せます!!」

話はトントン拍子で進んだ。

事故により無職になった私には、新しいローン会社が用意されていた。新しいローンは保証会社のようなものが付き、支払いが滞った場合にはその会社に車の所有権が移る、という内容だった。
車は最速で納入できるという話の銀色のパレットにしたのだが、どういうわけか納車は1ヶ月後になるとのことだった。

心配していた代車はこの日にもう用意された。
代車は白いパレット、ディーラーの試乗車だったようだ。
ラジオすら無い本体のみの使用では遭ったが、私は
「これなら祖父母の通院に困らない」
と胸をなでおろしていた。
正直パッソではドアも車内も狭すぎて、祖父を抱えて車に入ることなどは出来ない状態だったので、そのために購入したパレットと同じ車が代車になったのはありがたいことだった。

少しだけ前進したと、この時は思っていた。

限界

もう限界なのかも知れない。

事故とは関係ない内科で医師に「誰か話せる人はいないか」と言われた。
事故とは関係ないことで、誰も信じられない自分がいる。
外向きにはこちらからは裏切らず、まずは信じる体で生きている。「囚人のジレンマ」の「しっぺ返し戦略」に近い。
だから誰も信じず生きてきたはずだった。
事故の前から信じられる人を失い、そして事故後も様々揺れ動き、なんとか仕事をできるようになってからは諦めて死ぬまで生きようと思ってきた。

それなのに信じられる人を見つけてしまった。
でもその人とは話せない。その人は仕事でたまたま私に当たれば話すけど、私は本当は苦しい時にこそ話さねば耐えられない。踏みとどまるためにはそうしないといけない。
でもそれが叶わない。

そこに医師からの「誰か話せる人はいないか」は辛すぎる。
どうにも出来ないから、ますます自分を止められなくなる。

帰り際、会計の時に、他の患者とトラブった。
どうしても思ってしまう。
見下されている、馬鹿にされている、否定されている、カタワで何も出来ないと決めつけられている、

また左目だけ涙をこぼす。これは事故に合う前から、この身体が13歳の時に起こった出来事に起因する私の異常だ。キチガイの類だ。

とうとう私の身体の最低ラインを下回ってしまった。装備品で誤魔化しているが、もう足らないのは気付いている。

薬を飲めば最低限には足りるようになる。
でもそれをすれば、悪意ない暴力に遭遇した時に耐えられなくなる。
「私は悪くない」「ワザとじゃない」「そんな強くやってない」
その悪意のない言い訳を聞いて、殺したくなる。こっちは悪意のない暴力で、左腕を、そして左半身を奪われるのだから。

13の時に壊され、17の時に少しでも足りるようにとしまた壊れ、20の時に壊れた残りを失い、32の時に本当は死んでおり、34の時に事故で残ったものも3分の1ぐらいに減らされた。

辛い時に話も出来ないのに、その人に約束を強いられる
私はそれに納得出来ないのに、それを裏切らないように踏みとどまりたくて、でも話ができないから暴走を止められない。自分の最後の堤防ももう足らなくなっているから。

出来ることなら、もうどうしようもなくなってしまう前に、また事故に遭って今度こそ死にたい。

電気治療で左脚に異常

昨日病院に行って痛み止めの注射と点滴、そしてトリガーポイント注射を受けてリハビリをしている時、電気治療の終わり掛けに変な症状が出た。

左足の土踏まずから親指に掛けてが硬直。
左足首の電気が終わった直後に発生し、次に終わる左膝の電気が流れている間、それが続いた。

電気が終わってもその状態で、立ち上がりレーザー治療に移動しようとしたら左太ももの裏も硬直していることに気がついた。

結果、左足を引きずって歩くことになった。

硬直しているのは足全体ではなく、左の土踏まずから親指までの筋肉?と、左ももの裏の筋肉のみなので、脚が動かないわけではない。
だが左足を踏み出してもちゃんと地に足が付かず、またももが上手く使えないため踏ん張ることも難しい。
だから左足を引きずって歩くしかない。薬局ではそれが原因で転倒仕掛けたが。

電気治療でたまにこういうのが出る。主に左腕、特に小指だが、今回は珍しく足のみにきた。

幸い数時間で回復したが、やはり悔しさが強く現れる。

かと言って電気治療をしないと、回復が悪くなる。
私の場合は電気治療で筋肉等の回復だけでなく、感じない左腕などの触覚が戻ることがあるので、電気治療をやめるわけにもいかない。

こうしてどんどん時間が吸い取られていく。
治療に加えて発作で奪われていく。
ただただ苦しく悔しく、誰にも分かってもらえず、また『大して痛くもないのに大袈裟な』と嘘つき呼ばわりされるのかもしれないと思うとやりきれない。

レンタカー

ようやく車をどうするかの目処が立った。

事故に遭った車を教職員共済からの120万円と修理工場下取りの5万円、そして加害者から出してもらった10万円で精算し、新たな車は新規にローンを組んで購入する。
3月17日の事故から1ヶ月近く経って、ようやく車の問題が解決する。

そう思った矢先、教職員共済から電話が来て予想外のことが告げられた。

教職員共済「車の件はどうなりましたか?」
私「加害者がなんとか不足分を出してくれることになり、なんとか事故車の精算は出来ることになりました」
教職員共済「それはよかった…それで新しい車はいつ納車ですか?」
私「5月中旬になると聞いてます」
教職員共済「あぁ…それはまずいですね…」
私「まずい?なにがです?」
教職員共済「いやぁ…レンタカーがもう終わりますよね…」
私「はい?なんのことですか?」
教職員共済「ですから事故後にレンタカーを手配してからもうすぐ30日ですので、もうレンタカーは出せなくなるんですよ…」
私「なんですかそれは、初耳ですけれど」
教職員共済「いやでもそういう決まりですので」
私「いやいやいや…あなたそんなこと言ってませんでしたよね?」
教職員共済「…」
私「解決するまでレンタカーの心配はしなくていいって言いましたよね?」
教職員共済「こんなに時間がかかるとは思っていなかったので…」
私「私最初に言いましたよね?パレット(事故に遭った私の車)は発売されたばかりで納車はおろか、部品調達も時間がかかるとディーラーから言われてるって、私説明しましたよね?」
教職員共済「ですが…」
私「その時にあなたが修理が終わるか車を買うまでレンタカーを出すって言ったんですよ?」
教職員共済「ですが30日という決まりがありまして…」
私「その説明一度でもしてくれましたか?私は一度もそんな話は聞いていませんよ?」
教職員共済「でも普通は30日と決まっていますので…」
私「契約している加害者はその情報知っているでしょうけれど、こちらは補償範囲とかなど聞かされなければ分からないわけですよ。だからこっちは状況を説明して時間がかかると言ったんです。それに対して問題ないとあなたは説明し、30日しかダメだとは一度も言っていませんでしたよね?」
教職員共済「ですがそういう決まりなので…」
私「決まりとかは分かりました。じゃああれですか?私に自分でレンタカーを借りろと言うんですか?」
教職員共済「そうなってしまいます…」
私「おかしいじゃないですか?あなたが大丈夫と言ったから安心してできるだけ急いで話を進めたのに、またこっちに背負えって言い出すんですか?」
教職員共済「そういうことは言っていませんが…」
私「でも自分でレンタカー代どうにかしろって言ってるじゃないですか」
教職員共済「でもそうなってしまうので…」
私「それともまた加害者にお願いしろって言うんですか?あんな嫌な思いをさせられてまた…」
教職員共済「でもこちらでは出せませんので…」
私「ならどうして最初に説明してくれないんですか?」
教職員共済「こんなに時間がかかるとは思っていなかったので…」
私「だからそういう口先だけの言葉なんてどうでもいいんですよ…信号待ちしていただけなのに事故に遭って、補修すると言うから信じたら、あれは出せない、これも駄目…覚えてます?メガネだってこっちが妥協してそちらの言い分に合わせてるんですよ?車だってそうです、どんだけ苦しめるんですか!?」
教職員共済「ですからご迷惑をお掛けして申し訳ないですが、こちらではレンタカー貸出から30日で終了ですので…申し訳ございません…」

その後、何を話しても「レンタカーは出せない」の一点張りだった。
車の購入に関してようやく解決したと思ったら、その納車までの足を私は失うこととなった。

叶わないこと

今日、病院で誰かに何かをぶつけられるかして、左腕の痺れと痛みが増し左手小指を使うことが困難になり、左腕の動きも制限された。

2階のリハビリで座って待っていた時、左首~左背中に衝撃を感じた。左半身の感覚が鈍いため(特に触覚)どの辺りか正確には分からないが、衝撃の後に指先まで痺れが広がったので何かされたのは間違いないと思う。

振り返ると年配の女性が腰のサポーターを外していた。サポーターが当たったのか、それを外そうとした手を当てたのか、それとも傍らにある荷物を当てたのか分からないが、直前直後に私の背後にいたのはその人だけなので間違いないと思う。私には何もなくても突然発作が出ることもあるわけだが、その際には痺れは走らず痛みだけか痛みも何もなく感覚全てがシャットダウンしてフリーズするかのどちらかだと経験則で知っているし、以前に何度も荷物や腕をぶつけられて発作が出た時の出方と同じだからだ。

痺れが広がり、左手~左腕は温度が下がり、左手小指~薬指の半分が痺れてうまく動かなくなっていく。左手の握力も下がり、左腕の可動範囲も狭まり、病院を出る頃にはジャンパーを普通に着ることもできなくなっていた。

しばらく睨んでいたが、当人は気にもとめずに隣の患者とバカ話をしている。

信じられないのは、サポーターを外すのも荷物を下ろすのも広い場所でやればいいものを、わざわざ椅子の間の狭いところにやってきて、しかも私の真後ろでそれを行ったことだ。

なぜ人にぶつかる可能性が高い場所にわざわざきて寄ってきてそれをやるんだ?

どうせ言ったところで「やってない」とか言うと知っている。
問い詰めても「悪気はないから」と被害者ぶることも知っている。
でもあなただって、身体が悪いから通院してきているのでしょう?
人それぞれ症状が違い、中には普通ならなんてことがないことでも大ダメージを受けるって、実を持って知っているはずでしょう?
その状況をマッサージの先生にキレながら説明していたら、嫌な物でも見るようなめで見やがって…こっちが視線を向けると知らんぷりしながら何度もチラチラと盗み見しやがって…お前のせいでこっちは身体を悪化させられているのに…

せっかくブロック注射でいくらか治まったのに、1時間と経たずにまた逆戻りさせやがって…

これを書いている今でも左手小指~薬指の動きは鈍く痛みと痺れは強い。
この痛みを消す術はない。
この気持ちを減らす術はあっても、それを私が手に入れることは叶わない。
なのに我慢しなければならない。
発作で痛みが暴れだすと、骨折や脱臼よりも痛むことがある。どうにもならない神経の痛み。
やられた分の痛みを相手にも与えたい…私が感じた分だけの痛みを味あわせたい…でもそれが叶わない…