涙こぼれる

2日前から涙がこぼれている。
泣いていないし、嗚咽ももちろん漏らさない。
ただただこほわれている。

昨日は通院し始めた頃から私を知っている整形外科の看護婦さんに話し掛けられ涙こぼれた。
酷く心配させてるように見えるのに私は、
『お前じゃない』
とこぼし続ける。
「なにも出来なくて逆にごめんね」
とか言われる。涙がこぼれ続ける。

今日は今日で職場の責任者との面談があり、悔しいがこぼしながら身体と中身の不調を訴えた。
もちろんあの人に言ったほどのことは話せるわけもなく、ただただ首を振り涙こぼれる。

情けない、悔しい、苦しい、辛い。

あの人はまたここを見てくれるだろうか?
少しでも知ってくれるのだろうか?
私は同情を買おうとしているように見られるのかな

涙はこぼれるが泣いていない。
目も細めずただあふれるだけだ。

元々小さい頃から、きみのりは「嘘なきするな」とよく言われていた。
涙こぼれても泣きじゃくらず、嗚咽漏らさず、目も赤くならず、まぶたも腫れないから、ほとんどの人に嘘なきと言われ続けた。

腕の骨を折った時も泣かずにいたら「嘘をつくな」と殴られた。
風邪で熱が出て肺炎になりかけた時も「顔色いいから大丈夫、授業サボらないで」と戻された。
肘を脱臼した時も「動かないわけじゃないから問題ない」と練習続行させられた。

また嘘なきと思われるのかな。
もうアホみたいに涙はこぼれているけれど、みんなみたいに絞り出しもしないから充血や腫れたりしないのかな。それこそ嘘なきではないのかな。

まさかこんなに辛いとは思わなかった。
恋心もなくただ信じただけで、辛い時に少しだけ普通の話をして踏みとどまりたいだけなのに、私がワガママ過ぎたのかな。

あの時と同じで、私が全部悪いと思わなきゃいけない。そうしないといけない。

そもそも交通事故は罰だと思ってる。
あの時がまんできずにメールしたから、その報いだと思っている。

今回もあの人以外に話し掛けられること、触れられることに耐えられず、あの人だけは叶わないから、だから私が悪いんだ。

大丈夫、目も赤くならず腫れもしないから、泣いてるとは思われない。
私の症状は珍しく理解されないから、狂ってるからだと思われるだろう。

また1人地獄に染まるから、早くこぼれなくなって欲しい。

gg-8からの誘い

3月17日の交通事故発生、4月17日の祖父危篤、5月17日のディーラー店長失踪と3ヶ月連続で17日に不幸事が続いていたわけですが、それ以降の17日には不幸なイベントは発生せず、ひとまず胸を撫でおろしながら相も変わらず週に3~4回の通院をしていたある夏の日のこと、突然見知らぬ人からメールが届きました。

差出人はgg-8の人。
gg-8…それは八戸市を拠点にゲリラガーデニングをする市民団体。本家英国では土地の持ち主の許可を得るとは限らないまさにゲリラ的にガーデニングをする行為、厳密に言えば違法行為なわけですが、gg-8は大々的な告知はしないものの実際に地権者などに許可を得てガーデニングを行っている団体です。
そのgg-8が新聞に取り上げられ、その記事を今度は私が個人ブログで紹介したことを知った中の人が、
「飲み会に参加しませんか?」
との私にお誘いメールをくれたのです。

実はこの時、私は悩みました。
gg-8について、私は、
「ガーデニングなんてしたところで、実際には中心街が何か良くなるとは限らない」
と思っていました。しかし同時に、
「それでも何もやらずに文句を言うだけの人とは違って、なにか発言するにも行動している分だけ説得力がある」
とも考えていました。
飲み会とはいえそんなメンバーに私がまみれること、それはいいのだろうか? と思ったのだ。それぐらいあの時の私は何も出来ない状態だったから…

それでも私は会いに行くことにした。
何も出来ない私でしかないが、もしかしたら何か出来ることがあるのかも知れない。実際にゲリラガーデニングに参加することは難しくても、まだ動く指先でネットに関することなら関われるかも知れない。
だから私はgg-8に会いに行くことにしたのだ。

内科にはもう行かない

今日で内科を最後にした。
行くとしたら1年後、健診の結果が出てからだ。
でもその前に死ねるよう頑張ってみる。

助けて欲しかった。
私には他にいないから、なぜその人なのかも分からないから、他は耐えられないから、助けて欲しかった。
でも無理だもの。私はいつも見下されている。看護師は患者を見下すものだから、線引きして寄せ付けないものだから、仕事で優しくしているだけで、本当はどうなろうと構わないから。

だからもういろいろ耐えられないから、診察券とお釣りをゴミ箱に投げ入れ最後にした。

助けて欲しかった。
誰もが敵で、攻撃したくせに嘘ついて言い訳して責任逃れして、それを私は我慢できないから。
その時にあの人と少しだけ話が出来れば踏み止まれるのに、でもそんなこと私などに関わりたくないでしょう?
だからもうそこに行けないように、診察券を捨てた。

苦しい、会いたい、話がしたい、他ではストレス増すだけだから。

また野菜あげたかったな。
普通に話したかったな。
でも病院では、患者は病気に関して辛いこと、苦しいこと、悲しいことだけ聞いてもらえるのだから、私の病気を悪化させる原因など本当は聞きたくもないし仕事を邪魔するだけだから、仕方ないよ。

1年で頑張って体をいじめて、ヤバイと感じたらアイツを殺して、それでおしまいでいい。

元々化物だから、あの人とあなた以外は私の全てを否定するのだから、あの人とは会えないから、唯一の可能性が欲しくて無理言った私が悪いから。

おめおめと通院しないように診察券捨てた。

事故から今まで、どれだけの居場所を無くしただろう。

大丈夫、私がどうなってもあの人は何も感じないし、きっとそれは誰もが同じだから。

希望のない絶望の方が楽だから、期待しなくていいから、助けてと手を伸ばさなくても済むから、

どうして助けようとしたんだろう。
形だけだろうけど、そんなことしなければこんなに苦しまずに、延々と続く絶望に浸るだけで良かったのに。

また仕事に支障が出るな、仕事を全う出来ないのは悔しいな。

友達になりたいって、最後まで言えなかったな。馬鹿なやつ。

5月17日

事故から2ヶ月ほど経ったある日、電話が鳴った。
見覚えのある電話番号はディーラーからだったのだが、ちょっと違う。
車を注文したのとは別の店舗の電話番号だった。
電話に出ると、以前お世話になっていたその店での担当からだった。

店員「どうもーいつもお世話になっております」
私「どうも、ごぶさたしてます…どうしました?」
店員「お車ですね、新たにお買い上げいただいたパレットのご用意が出来ましたのでご連絡いたしました」
私「え?」
店員「納車はいつがよろしいでしょうか?」
私「いや、ちょっと待って」
店員「はい、なんでしょうか」
私「同じ会社とは分かっていますが、別のお店で買ったと思うんですよ」
店員「そうですね、あちらの店舗でのお受け取り希望ということでしょか?」
私「いや…それはもうどっちでもいいんですよ。事故前に務めていた会社があっちに近かったのであちらで買っただけなんで…」
店員「分かりました。詳しくはお会いしてからご説明しますが、あちらの店長が辞めてしまったため、以前お付き合いがございましたこちらで引き受けるという流れとなりました」
私「あぁ、そうですか、分かりました」

予想もしていないことだった。

その後、お店に行き事情を聞くと、私が契約した店舗の店長が急に辞めたとのこと。
急に連絡がつかなくなり、今どういう状況かも分からぬまま、5月17日に辞めたということらしかった。
そこで困った店舗が八戸市内にあるもう一つの支店に連絡を取り、以前はそちらのお世話になっていたのでその時の担当が再び私についた、ということだったらしい。

店員「ちなみに、あちらの店舗で購入となりました理由など、もしよろしかったらお聞かせ願えますか?」
私「単純に、職場があちらに近かったからです。夜勤で北インタ^に職場があるので、何かあった時に寄り易いのは通勤ルート上にあるあちらだったので」
店員「なるほど。あちらの店舗で担当することも可能ですが、こちらでよろしいですか?」
私「いやもう事故で仕事辞めちゃってるし、こちらの方が馴染みだし、このままでお願いします」
店員「ありがとうございます」

納車自体はスムーズに済んだ。

それにしても…
事故に遭った車は書い直した車と同じ車種であり、元々祖父母を病院に連れて行く時に乗せやすいようにと選んでいた。
その車が事故が遭ったのは3月17日、その1ヶ月後の4月17日には祖父が危篤、その後26日に亡くなり、事故から2ヶ月後の5月17日には解約した店舗の店長が謎の失踪を遂げた。
なにかに呪われているのではないかと妹に酷く心配された。

6月17日には命を落とすのではないかと、私はなんとなくそう考えていた。

病院に行きたくない

病院に行きたくない。
病院がストレスなんじゃない、ストレスがあるから病院に行きたくない…いや、そこにストレスを緩和してくれる可能性があるのに、ストレスを増すことをするから病院に行きたくない。

幾つか病院に通っている。
そのうちの1つに、今とても行きたくない。

その病院の看護婦とかはキレイに見える。
親切なふりもするし、話を聞いている時などには採血後に手を握ったままとかでいたりもする。
普通の男の人なら大喜びで鼻の下伸ばしているんだろうか。
でも私は不快だ、気持ち悪い。
見た目とか言い様、身振り手振りもどうでもいい。
ただ私は誰も信じていないから、「そうやって嘘ついて」「本当は否定しているくせに」とそればかり思いながら我慢して耐えていた。
手を振りほどきたいのを我慢していた。殴りつけ、爪を立て、二度と触れないように痛みを植え付けたいのを我慢していた。

それでも会社に通うためには通院が必要で、「どうせ無駄だ」って諦めて我慢していた。

でも平気な人が現れた。
理由は知らないが信じられる人が出没した。
「どうせ無理でしょ」「話長くなるから」と言うと他の誰もが「じゃあ話す気になったら」と距離を取るのに、その人だけは食らいついてきた。
でもやっぱり私の言う通りだった。
約束はいつまで経っても叶わない。
それどころか否定しなかっただけなのに、私が約束したことにさせられる。
それでもその人だけは、手を握られても平気だった。

だからもう病院には行きたくない。

他の手を我慢するのがもう嫌だから、平気な人がいるのにそれ以外を我慢しなくてはいけないのが嫌だから、もう爪を立てずにいられる自信が残っていないから、病院に行きたくない。

前回行った時には他の患者とちょっとトラブった。
限界で誰にも関わって欲しくないのに偽善振りやがって、ふざけるな。
そのことで出入り禁止になっていればいいな。でなければあの人が「嘘だった」って言ってくれればその言葉通りに信じられるのに。

街灯に群がる虫の気持ち。

床屋にいけなくなった

床屋にいけなくなった。

近くのショッピングセンターにある安い床屋を利用していた。
人といることにあまり耐えられないので少しでも客がいない時間、開店直後を狙って行ってみたが、わずかに客が並んでいたらもう恐ろしくて、待つことが出来なかった。

今どきの安い床屋はとても良かった。
15分で終わるし、専用の掃除機(?)で切った髪を吸い取るのも合理的でとても良い。
少し前まではそこまで客があふれることがなかったのに、近頃はいつ行っても何人も待っている。

スーパーやコンビニ、病院でさえ他の人は無頓着に人にぶつかったり叩きつけたりする。自分がやられても平気だからそう出来るんだ。
でもこちらは平気ではない。右側はいい。まだ昔に近いから、コンクリブロックを投げつけられるぐらいまでならケロリとしている。
でも左はそうはいかない。小さな子供がぶつかっても、なにかが軽くかすっても、左腕の発作が始まる。鈍いスライムのような痺れが広がり、指先から動かなくなっていく。左腕が痺れ、痛み、硬直し、使い物にならない肉の塊になる。
再び動き始めるまで、わずかに動き出すまでも早くて30分、遅ければ数時間、まともに(とは言っても人並みの半分程度)に動くようになるには早くて半日、たいていは数日、酷ければ1週間以上も戻ってこない。

だからあの狭い椅子で隣に人が座って待つなどとても出来ない。
どうせこちらが痛みを訴えてもトボケルか逃げ出すか言い訳するかで、最初から謝るやつになど出会ったことがない。加害者と同じ、偽善者ぶった卑怯者ばかりだ。

どんどん酷くなっていく。
どんどん出来ないことが増えていく。
どんどん誰ともいられなくなっていく。
そうでなくても平気な人など、疑わずにいられる人など、これまでにでさえ片手にも届かないのに。

どうして普通の人は、謝ることを避けようとして言い訳ばかりを繰り広げるのだ?
どうしてそれらにやられて傷ついて病気になった側が、我慢して気を使って避けているのに、端を歩いているのに、大手を振って、それこそ振り回して、こちらを殴っておいて誤りもせずに逃げるんだ?

でも私には善悪よりも、一貫性が一番納得できるから、
そんな嘘つきはその行動に背かぬよう、
自分の友人にも恋人にも子供にも親にも誰にも彼にも嘘をつき、それらの人が困っていても気付かなかったふりをし、自分が危なくなればためらわずにそれらの人を盾にし犠牲にし、自分だけを守っていって欲しい。
そうしてもらえれば、私は諦めが付くのだから。

健康診断にて

先日、会社で健康診断がありました。

私の働いている場所の近くまで健診車(レントゲン車)がやってきて、近くの公民館のような場所にて受けたわけなんですが…
身長、体重、視力関係、聴力までは無事にクリア。

次に胸部レントゲンに行ったのですが、ここで軽く問題発生。
ちょっとした衝撃で左腕や左脚、左半身が硬直・麻痺する私なので技師に
「勝手に触らないで下さい」
と告げる。
しかし左の首の根本~肩~背中のどこかに衝撃を感じた(左半身は触覚がおかしいので詳細箇所は不明)。
「触るなって言っただろう!!」
と大きな声を出して振り向く。
技師は驚いた表情で手を引いていた、おそらく押すか叩くかしたのだろう。

今思い返せば、あの時以降から左腕の異常が始まっていたのだと思う。

続いては採血と血圧、これは私の体の都合で少し配慮してもらい、手の甲辺りからの採血と手動での血圧測定となる。これはなんとか無事にこなす。

次に受けたのは心電図だが、寝た時に異常に気が付いた。
左肘が少し曲がった状態で、左腕は寝台から浮いている。力も入れておらず、私はその状態になんの負荷も感じていない。
これは私の左腕に発作が出た時に現れる症状で、筋肉硬直の有無にかかわらず左肘が少し曲がった状態がデフォルトになってしまうという、他に聞いたことがない症状だ。
今朝、起きた時にはこのようなことはなかった。
可能性があるのは、先程のレントゲン技師の接触だろう…だから触るなと言ったのに…
その状態を見て心電図担当の人も「一番楽な体勢でいいですよ」と言ってくるが、実はこの発作が出ている時にはこの状態が楽というか苦痛を覚えないため、このままで大丈夫と伝える。

不安を覚えつつ問診へと移る。
すぐに診断に入ると思いきや、医師は何やら首のこととかを酷く心配しているふうだった。
表向きそう見せていただけかも知れないが(これまでの経験で簡単には医師を信用出来ない私です)、あまりにしつこいので私から「そろそろ目とか胸とか見ましょう」と診断に移らせる。
それが終わってもまたいろいろ話してくるから、最中的に私が「キリがないのでこの辺で」と終わらせた。
これまであの健診センターには、レントゲン技師に暴力を振るわれ、医師には最初から勝手に決め付けられてこちらの話は聞いてもらえず、という対応がほとんどだったので、正直驚いた。
でも私は「病気がストレスになっている」わけではない。「ストレスが病気の後押しをしている」のだ。
だから延々と話をしても意味がない仕方がない。私が話をして少しでも救われる人など、片手ほどもいないのだから。

私の体の都合でバリウムは拒否したため、残るは超音波検査だけとなった。
だがここで予想外の事態が発生した。
途中で「両手を後ろに回して体を斜めで支えてください」と言われたのだ。
左腕が動かせず不自然に浮いているのは見ているはずで、なぜそんな無理を言うのだろうと思いながらも右腕でなんとか無理やり体を斜めに支えてみる。
すると「じゃあいいですよ、楽にしてください」と言われる。
首に負担をかけながらやったにも関わらず、その状態ではエコーを取らずに終了。
すると何を思ったのか、今度は左腕に機械をぶつけるようにしながら測り始めた。
私は何度も痛みを訴えるがまともに取り合ってはくれない。
事前の問診票にもケイツイヘルニアや左半身に後遺症があることは書いてあったはずなのに、またそれを読むこともせずに扱われたのだろう。
何度もぶつけられるのを我慢し終えた後、超音波検査は終了した。
しかし私の体はそのダメージに耐えられず、寝台から降りようとした際に転落した。
慌てて駆け寄ってくる超音波の女、よほど大きな音が鳴ったのだろう、外からも声が掛けられ他の検診センターの人も集まってきた。
「大丈夫ですか?」
と言われ腹が立った。痛いと何度も訴えたのを無視して自分の仕事だけを優先しておいて、どの口でそれを言うのだ。
そして左腕に触ろうとしたので、
「だから触るなって言ってるだろう!!」
と怒鳴り散らした。

また検診センターにやられた。
何度言っても、どれだけ問診票に書いても、どれだけ痛みを訴えてもこうやられる。

結局、仕事が出来る状態じゃないので昼で帰ることにした。

悔しい、苦しい、辛い、やり返せたら少しは楽だろうに、周りはそれを禁じるだけで、どうしてそう思うのかには触れようともしない。
どうせまたキチガイだと言われ思われ、さらにハブられることなんだろう。

踏みとどまりたいと願っているのに…

固定化する症状と、新たな症状

この頃、私は週に3~4回通院していた。
毎日でも通院して構わないと言われていたが、正直体力がもたなかった。

なんとか調子の良い日に病院に行く。
治療は痛み止めの注射を2種類受けて(皮下注射と血管注射)、その後リハビリ、機械で首を引っ張り、胸に丸いパットの電気、そして首、肩、左腕に2箇所と左膝に電気、その後マッサージ。およそ2時間ほど掛かった。
終わって家に帰ればもう動けない。ベッドに横たわったら最後、体を起こすことも難しい。あまりの痛みに体が動かない。トイレに起きることさえ出来ずにそのまま漏らしたことも多数ある。

それでも僅かずつ首と左腕の可動域が広がっていったこともあり、痛みに耐えながらの通院を続けていた。

しかしこの頃から、症状が固定化していった。

首の動きが良くならない。左腕の可動域も広がらず、突然何も感じなくなって目で見ないと腕が生えているのかも分からなくなる。

薬を飲んでいても痛みが引かない。市販薬のナロンエースとインドメタシンの湿布を大量に用いて誤魔化して寝る。
寝るのも首が痛すぎてすぐに目が覚める。寝返りも打てない。寝るほど痛みは増す。でも体を起こすことも出来ないことが多く、ただただ痛みを増すために寝ることしか出来ない。
そして気が付いたことがある。
左の肘を曲げることと、左肩で腕を上げること、その差が分からない。そもそも本来の動きには程遠いのだが、左肘を45度弱まで曲げると、私の感覚的には左腕をまっすぐ上に上げている感覚と同じなのだ。また肘を曲げずに腕を上に上げる(とは言え肘の高さぐらいまでしか上がらない)、これもまっすぐ上に上げている感覚だ。
つまり私は、左肘と左肩の区別がついていないようだった。
また左腕全体の神経がとても過敏なようで、葉っぱ1枚が触れただけでも激痛が走る。腕の骨の真ん中が痛むのだ。
結局、これらの固定化された症状は、今でもほぼ変わっていない。

また新たに気づいた症状らしきものもいくつかある。

ある暑かった日、私は暑いとも感じていなかった。
しかし服は汗だくで、『暑かったのか』とそれで気付いた。
後にはっきりとすることだが、この頃から私は気温の変化を実感しておらず、熱さ冷たさは感じ始めるまで時間が掛るもののなんとか分かるのだが、どれだけ暑くてもどれだけ寒くても私の主観は感じていない。
今でもとても困っている。

尿意と便意もほとんど感じなくなっていると、何度か漏らしてから気付いた。
尿意も便意も、ギリギリにならないと分からない。
だから時間があればトイレに行ってできるだけ出す癖がこの頃に身についた。

唾液も出なくなった。
口の中で濡れているのは下の前歯の後ろと舌の裏だけ、あとはカラッカラに乾いている。
飲み物を飲んだり飴を舐めたりしてみるも、潤うのはその直後だけ。
1年後に始まった困った事象の原因の1つがこれにあると、私は考えている。

突然倒れることも多くなった。
意識はある、しかし天地が分からなくなる(平衡感覚?脳内の何か?)、結果ぶつかったり崩れ落ちたりする。
意外にも車では平気だった。シートベルトで固定しているので倒れないし、天地が分からなくなるのに視界が歪んだりとかではないことが理由だと思う。
倒れるのはほとんどが家の敷地内で、外では倒れない。緊張している時には平気なようだった。

あの頃はまだ、「そのうち治るのだろう」と思うことが出来る自分がいた。
それ以上悪化することや、他に例を聞かないようなおかしな症状、そして治らぬまま10年以上が経過することなど思いもしなかった。

生活費

祖父が亡くなり、少し経って、ふと気がついた。

私はどうやって自分の生活をしていけばいいのだろうか?
事故に遭い仕事を失い身体も悪くし、今はまだ事故直前に働いた分の給料で暮らしているけれども、その後が続かない。
現状働こうにも働けない、まともに歩けないことも珍しくない状態ではその見通しすら立たない。立つはずがない。

そこで私は教職員共済に電話し、なんとか出来ないかと相談することにした。

私「ちょっと聞きたいことがあるんですが」
教職員共済「なんでもお聞きください、力になりますよ」
私「私、働けないんですよね」
教職員共済「えっと…軽傷と聞いてましたがまだ働けない?」
私「いや…これまで何度も説明してきましたよね?事故の影響で働けなくなって仕事を無くしたことも、まともに生活することも難しいって」
教職員共済「はい…いやでも病院では…」
私「だからそれもまともに診てもらえないからって別の病院にしたじゃないですか?それもそちらが言い出したことですよね?」
教職員共済「分かってますけど…軽傷と聞いていたので…」
私「…それで相談なんですけれど、生活は保証してはもらえないんですか?」
教職員共済「生活保障…ですか?」
私「はい。私は加害者から『任意保険が全て面倒見てくれる』と聞いています。このままでは私は収入ゼロで生活も出来なくなりますよね?」
教職員共済「はい…」
私「ですからその生活を保証してはもらえないのかと聞いています」
教職員共済「…」
私「出来ないんですか?」
教職員共済「…分かりました、生活費を出します」
私「本当ですか?ありがとうございます」
教職員共済「月12万円で足りますか?」
私「…え?」
教職員共済「ですから月12万円で足りますよね?通院費はお支払いしていますし」
私「いやいやいや…あの…私は今料理も出来ないし、家のこと何も出来ないような状態なんですよ、分かります?」
教職員共済「はい…」
私「事故前の給料を保証してもらえるんじゃないんですか?」
教職員共済「…」
私「またこっちが我慢しなくてはいけないんですか?車の精算もそう、眼鏡だってわざわざ安い眼鏡を選ばされて、またですか?」
教職員共済「分かりました、事故前の給与を保証いたします」
私「…それは本当ですよね?」
教職員共済「もちろんです」
私「生活保障として事故前の給与を保証してくれるってことですよね?」
教職員共済「その通りです」

このようなやり取りで、私は翌月以降に働いていた時と同程度の金額を出してもらえることとなった。

この時の私は『本当に救われた』と安心していた。
しかし1年後、それが保証でもなんでもなかったことを突然告げられる。
本当に、今思い出しても悔しくてたまらないが、この時の自分には知る由もない。

4月17日

突然遭遇した交通事故からちょうど1ヶ月後の4月17日、いつものように病院に行き、夕方に実家を訪れると、部屋に祖父がいなかった。
危篤となり緊急入院したとの話だった。

急ぎ病院へと向かう。

ベッドの上の祖父は呼吸器を付け眠っていた。
呼びかけにも反応しない。ただ呼吸器により息をしているだけ。
呆けていろんなことを忘れていったが、最後まで私のことは分かっていた祖父だったが、結局亡くなるまで意識が戻ることはなかった。

実家に戻ると二親からこんなことを言われた。

「落ち込むとかわいそうだから、ばぁちゃんとお前の子供は見舞いに連れて行くな」

私はこの言葉が理解できなかった。
本人の意志はいいのか?
かわいそうかどうかは周りが決めることなのか?
それは単に落ち込ませたら自分が悪いことをしたと思うから言っているだけではないのか?

だから私は祖母に訊いた

私「じさまいなくなっただろ?」
祖母「今日は見てないね」
私「病院に入院している。良くないみたいだ」
祖母「はぁ…」
私「どうする?会いに行くか?」
祖母「…行きたいね」

私の子供も同じ答えだったので、私は二親の言葉を無視して祖父の入院する病院に連れて行った。

祖母は祖父を見て顔を撫でて、

祖母「もう駄目だね」

と言った。

帰りに車の中で祖母は言った。

祖母「あれはもう長くないね…駄目だね…近い内にそうなるから、悪いけど葬式とかお願いね…ばぁちゃんはもう弱って座っていることも辛いから全部任せるよ…」

祖父は2008年4月26日に亡くなった。

祖母は葬儀には出ず、棺に入った祖父の顔を何度か眺めただけだった。

祖父母の通院のために買ったスズキのパレット。
納車から半月で事故に遭い、そのまま廃車となり、それに一度も乗ることなく祖父は死んだ。
葬儀の合間にも通院しなければならないのが苦しかった。