やかん

人それぞれ、やかんの大きさが違う。

私のやかんのおおきさは小さい、と周りには思われている。

でも違う。
私のやかんは注ぎ口が極端に狭く、外に出そうとしても沸騰した水がなかなか注がれないのだ。

本体はおそらく大きいと思う。
だからいつまで経ってもなかなか冷めない。
一度限界まで溜まってしまえばなかなか冷めず減らないので、その間にまた増やされれば溢れて自分を、周りを火傷させる。

1つのことが3ヶ月は冷めずに苛立っている。
周りには記憶力がないのか?
それとも加害者特有の自己保身の忘却か?

すぐに感情的になるって?
24時間365日寝ても覚めても痛みに痺れに不感に渇きに凍えに悔しさに苛まれ続けているのに、いつ怒りを冷ませばいいのだ?

少しでもマシになる為の手段を否定され拒否され離れられ途方にくれているのに、これ以上どうしろというのだ?

私のやかんには熱湯が沸騰し続け溢れている。
注ぎ口は極端に狭く溢れる熱湯で火傷している。
電柱を殴り血を流しこぶしを腫れさせて、それでもまた殴り続ける。

そんなことやめろ、なんて言わないで欲しい。
それとも代わりに殴られてくれるのか?
殴るより投げの方が得意だが、死ぬまで投げさせ続けてくれるのか?

踏みとどまるための代替行為を否定しないで欲しい。
どうせ他人事なのだから、あなたらは目を背け見ないふりすればいいでしょう?

出来ないのではなく、あなたがしたくないだけなのだと思う自分がいる。
なら溢れないように耐えようとする言葉を、行為を、約束をしないで欲しかった。

くやしい

私はまたまだ信じてしまっている。
こんなこと滅多にないのに、その僅かなケースに陥れば私は逃げられない。

いつまで踏みとどまれるかな
テレビで見る殺人犯の報道に、その行動に、犯人側に共感を覚える自分がいる。

なのに約束を守ろうと踏みとどまろうとする自分が溢れた熱湯で傷付いている。

だからまた仕方ないから、周りには壁を作るんだ。
だからまた自分の体を削るんだ。
踏みとどまっているうちになんとか自分を殺さなきゃ、なにか起こしてもし万が一あの人がなにか思う前に、終らせたい。

人に話せば楽になるのだろうか

人に話せば楽になるという、という人もいる。
でも必ずしもそうでないことを私は知っている。

そもそも人は、自分で経験したことのないことはなかなか信じてくれない。分かったふりをしていても、何か気に入らない小さなキッカケさえあれば、すぐに『嘘つき』呼ばわりしてくる。疑惑の目を向けてくる。

私の症状などは、他の交通事故被害者でも効いたことがないようなものだ。
頚椎の第7番にヘルニアがあるのに左腕のみならず左脇腹や左脚にまで症状が出ていること、脳梗塞の症状かと思うような左顔面の引きつりや言葉が出なくなること、さらには左半身の多くで触覚が薄いあるいは感じないことや気温が分からないことなど例を上げればキリがないが、最たるものに、左半身と右半身で体温が違うことが上げられる。

右脇が35度で左脇が31度、これが私の体温が一番低かった時の体温だ。冬場のことでここまで極端なのは稀だが、今でも冬場は右脇35度、左脇33度代ぐらいは珍しくない。
夏場はこれが逆になる。右脇で36度後半で、左脇が39度になる。
右手で触ると、冬場は左腕や左脚、左の胸や左の腹まで右より冷たいのが実感できる。しかし夏場が逆に熱がこもった感じで不安を覚える。左半身が汗をかきづらいのも知っている。
これに加えて、左腕をはじめとする左半身に発作が出ると、一気に左側の体温が下がっていくことも実感している。右手で握っているその間にもどんどんと左腕が冷えていく。

だがこのような症状、私は聞いたことがない。誰の人だって同じで、誰に言っても初耳と言う。

残念だが、人間の多くは自分の経験したこと以外は信じないし、イメージすることも難しい。
だからマイノリティである時点で、人に話しても共感してもらえず楽になれない、それどころか信じてもらえず嘘つき扱い、あるいは『病んでいる』の一言で片付けられて放棄される、それがオチだとそう経験している。
だから基本的に、話すだけ無駄なのだ。楽になるどころか苦痛が増えるだけなのだ。

そして私は、なぜか分からないが、最初に出会った時から全て信じている人が極少数存在する。今まで生きてきて二人だけ、それ以外は本当は信じていない。

ただ私は自分の中身が足らないことを強く実感している。
実感しているからこそたどり着いた答えは、「しっぺ返し戦略」に近いものだ。
本当に信じられる人などめったに会えない。1年前に見つけてしまった人にも嫌われ、もうそんな人は現れないだろう。
だからこそ信じていない人に対しても、信じていると自分に嘘を付き相手が裏切らない限り自分からは裏切らないで生きることにしている。

でもニセモノの信じている人には何を話しても例え裏切られなくても、私は楽にはなれない。
信じていないから、ルールで裏切らないから信じているように振る舞うだけだから、ただただ負荷が増えていく。

なのに本当に信じている人には、わずかに話すだけで心が楽になる。
内容がボロボロで酷いものでの、その人に話すだけで救われる。せいぜい翌日ぐらいまでだけれども、衝動を抑えて踏みとどまれる。

けれどもね、誰もそんな面倒には関わりたくないんだよ。
「カウンセラーじゃないから」
「仕事だから」
「他の人も同じようにしてくれるよ」
そんなの意味がない。
肩書や職業や容姿なんて関係ない。もしかしたら性別も人かどうかも生き物かどうかも関係ないのかも知れない。
ただ私が何故か信じられた人、その人と話す時だけ、私は自分が存在しているように感じられる。それ以外はずっと、足らなくて渇いて自分がいることも信じられなくなる。

理屈じゃない、私にもなぜか分からない。
最初に見た時からもあったし、1年前のは声を聞いただけでそう思った。

だから、人と話しても楽になんかならないんだよ。
信じられる人なんていなければ、逢わなければ、周り全てが疑うだけで済むならば絶望に浸っていられたのに。 例えマイナスだらけでも、プラスがなければそれは当たり前でマイナスだと実感しなくていいから。
プラスを知ってしまうことは、もう人に話しても楽になんてならないって知ること。

助かる方法、踏みとどまる方法、それを知っていて手に入らないから余計に、そうじゃない人に話しても楽にはならないんだよ。

1年は360日

私の1年間は360日です。

私は交通事故の治療のために、未だに病院通いです。毎月5回以上、年に60回以上病院です。
1回につき平均で約2時間かかります。お尻に痛み止めの注射、そして痛み止めの点滴、それから電気治療が9箇所、マイクロ波治療を2箇所にレーザー治療1箇所、それからマッサージ。あと月に3~4回ぐらい神経ブロック注射、です。

つまり1年のうち、120時間以上を交通事故の後遺症の治療に費やしているわけです。薬局も合わせると+6時間ぐらいかな。市販薬も併用しているので、そこの購入まで含めると合計で6日分の時間ぐらいは浪費している気がするけれど…

とにかく、最低でも1年に120時間=5日間は、私は普通の人よりも時間が少ないのです。

これが自分で起こした事故だとか、誰のせいでもない事故だとかならばまだ諦めもつきます。
しかし他人の起こした事故、こちらの過失がゼロの事故なのですから、毎年5日間=120時間を加害者に奪われているのと変わらない状態です。

現在の仕事を時給換算すると約1000円ちょいなので、12万円分以上を奪われていると言えなくもありません。
おまけに実際には年間の交通事故後遺症の治療費・薬代が12万円以上なので、もう24万円以上を毎年加害者に奪われている気分になります。

まだ完治したならば、あるいは将来的に完治するならばね、もっと寛容にもなれるでしょう。
でも私の後遺症は悪化していますし、このまま自然に治る可能性は無いそうです。手術しても失敗すればさらに酷い状態になる可能性があるそうですよ。

だからこんなことを言っては、思ってはいけないのですが、私はどうしても思うんですよ。

事故も事件も加害者が得をする、ってね。

例え加害者に悪意がなくとも、その奪った人生…仕事や健康、金銭、人間関係、その他諸々の全ては帰ってはきません。
しかし「加害者にも未来がある」と言って加害者を養護し、被害者にはある程度少しだけ応援したらあとは勝手に生きていけとばかりに投げ捨てる、それが現実だと思っています。

私が毎年5日間を、12万円超を加害者に奪われる現象は死ぬまで続く予定です。悔しいね。

gg-8との遭遇

gg-8からのお誘いを受けて、飲み会に参加した。
会場は八戸市中心街の三日町、現在八戸ポータルミュージアムはっちが建っている場所。その時はまだはっちの建設工事が始まったばかりで、高い金属フェンス(というか金属板)に囲まれた工事現場の敷地内はビアガーデンのような場所になっていた。

どこにいるのだろうと辺りを見渡していると、一人の女性がこちらに向かって大きく手を振っている。
近付いて話し掛けると、その人がgg-8のリーダーのHさんだった。
面識は無いし私はネットでは顔出ししていないので何故分かったのか不思議だったが、どうやらこれはほぼ中心街関係者しか集まらない場所らしく、たいていの人は知り合いで顔馴染み。
そこに知らない顔の私が来たので声を掛けた、ということらしい。

そのテーブルには複数の男女が集まっていた。
まずは女性が二人、教師をしているという。
男性の一人は森林関係の人、一人は建築関係らしい。
リーダーは地元FM局などでリポーターのようなことや司会などをしている人物らしい。

私はgg-8の活動について詳しく話を聞いた。

ゲリラガーデニングを名乗ってはいるが、基本的に地権者や関係者の許可を得て活動しているとのこと。
メンバーの多くは仕事持ちのため、夜に活動することが多いとのこと。
ネット上ではブログとmixiで情報発信や交流をしているということ。
種や苗は地元で園芸などのお店をやっているパセリー菜が協力してくれてること。
現在(当時)はりんご箱で作ったgg-8オリジナルプランターを中心街をメインに展開中とのこと。
この隠れビアガーデンの工事現場金属フェンスの足元にもプランターを設置しネットを張ってゴーヤを植え、一面をゴーヤで埋め尽くす計画であること、などなど。

一通り話を聞くと「gg-8の活動に参加しないか?」と誘われた。

正直、かなり迷った。
体が動くかどうかの不安、それがどうしても拭えない。
その場での即答は避けたが、私は結局この歳の秋ぐらいからgg-8の活動に徐々に参加していくことになる。

事故後、初めての楽しい時間だった。

帰り道、初めて食べたゴーヤが体に合わなかったらしく吐いた。ゴーヤだけ未消化で出てきた。

左脚麻痺

left左脚が麻痺して動かなくなった。

今日は仕事を無理して昼休憩削ってまでやって間に合わせたのだが、帰りの送迎車に乗り込む時に転倒した。車内で。

周りには計5人いたけれど、誰も助けない、誰も声すら掛けない。そんなもんです。
どうせ理由も知らずにまた勝手に「わざとらしく転んで」とか「ホントは後遺症なんてないくせに」とか思っていると考えなければ、5人もいて1人も声掛けすらしない、なんてありえないと私は思うけど、この国の人ではこれが常識なんだろうねきっと。

今回は珍しく、首、肩、背中、脇腹、左腕には出ないで左脚だけに症状が出た。
完全に硬直で微動だにしない、とまではいかないけれど、それでもももやふくらはぎの筋肉は固くなったままで、膝が曲がらないし足首も曲がらない。感覚ももちろん怪しい(常時)。
付け根はかろうじて僅かに動くので左脚を引きずりながら歩けるし、真っ直ぐで硬直なので階段や段差も左脚を常に下にしておけばこなせる。
服の着替えも床に置いてなんとか足乗せてズボンやら何やら引きずり上げるのだけれども、そもそも脚が上がらないので納戸もズボンに引っかかるし、ロッカーに掴まり体を傾け足を乗せたはいいが、感覚ないし動かないので何かが引っかかってなかなか上がらない。たぶん指かかかとなんだろうけれども、どれなのかの感覚が薄くて分からない。
苦労して何分も掛けてズボンを履いたが、靴を履くのも苦労したが、それでも車までたどり着いたが…

左脚が曲がらないとね、ドアに足が引っかかって乗れないのよ。
少し膝や足首が動き出せばなんとか運転席にねじ込んでしまえるんだけどさ、それが出来ずに今30分経過かな。アホみたいだけど待つしかない、乗れる程度に足が動き出すまで。

傍目にはただの変人に映っているんだろうね。
悔しくて辛くてストレスばかりが増えていく。それがまた回復を遅らせる。血圧も高いままでももとふくらはぎがパンパンで脚をうごかせてくれない。

ホント、悔しいね。少しはマシになる方法を見つけたのに、それには見下されるだけで手を伸ばしても届かないから私は助からない。最初、なんで私より先に手を伸ばしてきたのだろう…

パンドラの箱とやらには希望が残ったらしいが、そんなもの残らなければ絶望に包まれ諦め続けられたのにね。
夢や希望や可能性なんて、時には呪いにしかならないのにね。

あと何時間経ったら車に乗れるだろう…
どうしても助けて欲しいと思ってしまう。無駄なのにね。

涙こぼれる

2日前から涙がこぼれている。
泣いていないし、嗚咽ももちろん漏らさない。
ただただこほわれている。

昨日は通院し始めた頃から私を知っている整形外科の看護婦さんに話し掛けられ涙こぼれた。
酷く心配させてるように見えるのに私は、
『お前じゃない』
とこぼし続ける。
「なにも出来なくて逆にごめんね」
とか言われる。涙がこぼれ続ける。

今日は今日で職場の責任者との面談があり、悔しいがこぼしながら身体と中身の不調を訴えた。
もちろんあの人に言ったほどのことは話せるわけもなく、ただただ首を振り涙こぼれる。

情けない、悔しい、苦しい、辛い。

あの人はまたここを見てくれるだろうか?
少しでも知ってくれるのだろうか?
私は同情を買おうとしているように見られるのかな

涙はこぼれるが泣いていない。
目も細めずただあふれるだけだ。

元々小さい頃から、きみのりは「嘘なきするな」とよく言われていた。
涙こぼれても泣きじゃくらず、嗚咽漏らさず、目も赤くならず、まぶたも腫れないから、ほとんどの人に嘘なきと言われ続けた。

腕の骨を折った時も泣かずにいたら「嘘をつくな」と殴られた。
風邪で熱が出て肺炎になりかけた時も「顔色いいから大丈夫、授業サボらないで」と戻された。
肘を脱臼した時も「動かないわけじゃないから問題ない」と練習続行させられた。

また嘘なきと思われるのかな。
もうアホみたいに涙はこぼれているけれど、みんなみたいに絞り出しもしないから充血や腫れたりしないのかな。それこそ嘘なきではないのかな。

まさかこんなに辛いとは思わなかった。
恋心もなくただ信じただけで、辛い時に少しだけ普通の話をして踏みとどまりたいだけなのに、私がワガママ過ぎたのかな。

あの時と同じで、私が全部悪いと思わなきゃいけない。そうしないといけない。

そもそも交通事故は罰だと思ってる。
あの時がまんできずにメールしたから、その報いだと思っている。

今回もあの人以外に話し掛けられること、触れられることに耐えられず、あの人だけは叶わないから、だから私が悪いんだ。

大丈夫、目も赤くならず腫れもしないから、泣いてるとは思われない。
私の症状は珍しく理解されないから、狂ってるからだと思われるだろう。

また1人地獄に染まるから、早くこぼれなくなって欲しい。

gg-8からの誘い

3月17日の交通事故発生、4月17日の祖父危篤、5月17日のディーラー店長失踪と3ヶ月連続で17日に不幸事が続いていたわけですが、それ以降の17日には不幸なイベントは発生せず、ひとまず胸を撫でおろしながら相も変わらず週に3~4回の通院をしていたある夏の日のこと、突然見知らぬ人からメールが届きました。

差出人はgg-8の人。
gg-8…それは八戸市を拠点にゲリラガーデニングをする市民団体。本家英国では土地の持ち主の許可を得るとは限らないまさにゲリラ的にガーデニングをする行為、厳密に言えば違法行為なわけですが、gg-8は大々的な告知はしないものの実際に地権者などに許可を得てガーデニングを行っている団体です。
そのgg-8が新聞に取り上げられ、その記事を今度は私が個人ブログで紹介したことを知った中の人が、
「飲み会に参加しませんか?」
との私にお誘いメールをくれたのです。

実はこの時、私は悩みました。
gg-8について、私は、
「ガーデニングなんてしたところで、実際には中心街が何か良くなるとは限らない」
と思っていました。しかし同時に、
「それでも何もやらずに文句を言うだけの人とは違って、なにか発言するにも行動している分だけ説得力がある」
とも考えていました。
飲み会とはいえそんなメンバーに私がまみれること、それはいいのだろうか? と思ったのだ。それぐらいあの時の私は何も出来ない状態だったから…

それでも私は会いに行くことにした。
何も出来ない私でしかないが、もしかしたら何か出来ることがあるのかも知れない。実際にゲリラガーデニングに参加することは難しくても、まだ動く指先でネットに関することなら関われるかも知れない。
だから私はgg-8に会いに行くことにしたのだ。

内科にはもう行かない

今日で内科を最後にした。
行くとしたら1年後、健診の結果が出てからだ。
でもその前に死ねるよう頑張ってみる。

助けて欲しかった。
私には他にいないから、なぜその人なのかも分からないから、他は耐えられないから、助けて欲しかった。
でも無理だもの。私はいつも見下されている。看護師は患者を見下すものだから、線引きして寄せ付けないものだから、仕事で優しくしているだけで、本当はどうなろうと構わないから。

だからもういろいろ耐えられないから、診察券とお釣りをゴミ箱に投げ入れ最後にした。

助けて欲しかった。
誰もが敵で、攻撃したくせに嘘ついて言い訳して責任逃れして、それを私は我慢できないから。
その時にあの人と少しだけ話が出来れば踏み止まれるのに、でもそんなこと私などに関わりたくないでしょう?
だからもうそこに行けないように、診察券を捨てた。

苦しい、会いたい、話がしたい、他ではストレス増すだけだから。

また野菜あげたかったな。
普通に話したかったな。
でも病院では、患者は病気に関して辛いこと、苦しいこと、悲しいことだけ聞いてもらえるのだから、私の病気を悪化させる原因など本当は聞きたくもないし仕事を邪魔するだけだから、仕方ないよ。

1年で頑張って体をいじめて、ヤバイと感じたらアイツを殺して、それでおしまいでいい。

元々化物だから、あの人とあなた以外は私の全てを否定するのだから、あの人とは会えないから、唯一の可能性が欲しくて無理言った私が悪いから。

おめおめと通院しないように診察券捨てた。

事故から今まで、どれだけの居場所を無くしただろう。

大丈夫、私がどうなってもあの人は何も感じないし、きっとそれは誰もが同じだから。

希望のない絶望の方が楽だから、期待しなくていいから、助けてと手を伸ばさなくても済むから、

どうして助けようとしたんだろう。
形だけだろうけど、そんなことしなければこんなに苦しまずに、延々と続く絶望に浸るだけで良かったのに。

また仕事に支障が出るな、仕事を全う出来ないのは悔しいな。

友達になりたいって、最後まで言えなかったな。馬鹿なやつ。

5月17日

事故から2ヶ月ほど経ったある日、電話が鳴った。
見覚えのある電話番号はディーラーからだったのだが、ちょっと違う。
車を注文したのとは別の店舗の電話番号だった。
電話に出ると、以前お世話になっていたその店での担当からだった。

店員「どうもーいつもお世話になっております」
私「どうも、ごぶさたしてます…どうしました?」
店員「お車ですね、新たにお買い上げいただいたパレットのご用意が出来ましたのでご連絡いたしました」
私「え?」
店員「納車はいつがよろしいでしょうか?」
私「いや、ちょっと待って」
店員「はい、なんでしょうか」
私「同じ会社とは分かっていますが、別のお店で買ったと思うんですよ」
店員「そうですね、あちらの店舗でのお受け取り希望ということでしょか?」
私「いや…それはもうどっちでもいいんですよ。事故前に務めていた会社があっちに近かったのであちらで買っただけなんで…」
店員「分かりました。詳しくはお会いしてからご説明しますが、あちらの店長が辞めてしまったため、以前お付き合いがございましたこちらで引き受けるという流れとなりました」
私「あぁ、そうですか、分かりました」

予想もしていないことだった。

その後、お店に行き事情を聞くと、私が契約した店舗の店長が急に辞めたとのこと。
急に連絡がつかなくなり、今どういう状況かも分からぬまま、5月17日に辞めたということらしかった。
そこで困った店舗が八戸市内にあるもう一つの支店に連絡を取り、以前はそちらのお世話になっていたのでその時の担当が再び私についた、ということだったらしい。

店員「ちなみに、あちらの店舗で購入となりました理由など、もしよろしかったらお聞かせ願えますか?」
私「単純に、職場があちらに近かったからです。夜勤で北インタ^に職場があるので、何かあった時に寄り易いのは通勤ルート上にあるあちらだったので」
店員「なるほど。あちらの店舗で担当することも可能ですが、こちらでよろしいですか?」
私「いやもう事故で仕事辞めちゃってるし、こちらの方が馴染みだし、このままでお願いします」
店員「ありがとうございます」

納車自体はスムーズに済んだ。

それにしても…
事故に遭った車は書い直した車と同じ車種であり、元々祖父母を病院に連れて行く時に乗せやすいようにと選んでいた。
その車が事故が遭ったのは3月17日、その1ヶ月後の4月17日には祖父が危篤、その後26日に亡くなり、事故から2ヶ月後の5月17日には解約した店舗の店長が謎の失踪を遂げた。
なにかに呪われているのではないかと妹に酷く心配された。

6月17日には命を落とすのではないかと、私はなんとなくそう考えていた。

病院に行きたくない

病院に行きたくない。
病院がストレスなんじゃない、ストレスがあるから病院に行きたくない…いや、そこにストレスを緩和してくれる可能性があるのに、ストレスを増すことをするから病院に行きたくない。

幾つか病院に通っている。
そのうちの1つに、今とても行きたくない。

その病院の看護婦とかはキレイに見える。
親切なふりもするし、話を聞いている時などには採血後に手を握ったままとかでいたりもする。
普通の男の人なら大喜びで鼻の下伸ばしているんだろうか。
でも私は不快だ、気持ち悪い。
見た目とか言い様、身振り手振りもどうでもいい。
ただ私は誰も信じていないから、「そうやって嘘ついて」「本当は否定しているくせに」とそればかり思いながら我慢して耐えていた。
手を振りほどきたいのを我慢していた。殴りつけ、爪を立て、二度と触れないように痛みを植え付けたいのを我慢していた。

それでも会社に通うためには通院が必要で、「どうせ無駄だ」って諦めて我慢していた。

でも平気な人が現れた。
理由は知らないが信じられる人が出没した。
「どうせ無理でしょ」「話長くなるから」と言うと他の誰もが「じゃあ話す気になったら」と距離を取るのに、その人だけは食らいついてきた。
でもやっぱり私の言う通りだった。
約束はいつまで経っても叶わない。
それどころか否定しなかっただけなのに、私が約束したことにさせられる。
それでもその人だけは、手を握られても平気だった。

だからもう病院には行きたくない。

他の手を我慢するのがもう嫌だから、平気な人がいるのにそれ以外を我慢しなくてはいけないのが嫌だから、もう爪を立てずにいられる自信が残っていないから、病院に行きたくない。

前回行った時には他の患者とちょっとトラブった。
限界で誰にも関わって欲しくないのに偽善振りやがって、ふざけるな。
そのことで出入り禁止になっていればいいな。でなければあの人が「嘘だった」って言ってくれればその言葉通りに信じられるのに。

街灯に群がる虫の気持ち。