健康診断にて

先日、会社で健康診断がありました。

私の働いている場所の近くまで健診車(レントゲン車)がやってきて、近くの公民館のような場所にて受けたわけなんですが…
身長、体重、視力関係、聴力までは無事にクリア。

次に胸部レントゲンに行ったのですが、ここで軽く問題発生。
ちょっとした衝撃で左腕や左脚、左半身が硬直・麻痺する私なので技師に
「勝手に触らないで下さい」
と告げる。
しかし左の首の根本~肩~背中のどこかに衝撃を感じた(左半身は触覚がおかしいので詳細箇所は不明)。
「触るなって言っただろう!!」
と大きな声を出して振り向く。
技師は驚いた表情で手を引いていた、おそらく押すか叩くかしたのだろう。

今思い返せば、あの時以降から左腕の異常が始まっていたのだと思う。

続いては採血と血圧、これは私の体の都合で少し配慮してもらい、手の甲辺りからの採血と手動での血圧測定となる。これはなんとか無事にこなす。

次に受けたのは心電図だが、寝た時に異常に気が付いた。
左肘が少し曲がった状態で、左腕は寝台から浮いている。力も入れておらず、私はその状態になんの負荷も感じていない。
これは私の左腕に発作が出た時に現れる症状で、筋肉硬直の有無にかかわらず左肘が少し曲がった状態がデフォルトになってしまうという、他に聞いたことがない症状だ。
今朝、起きた時にはこのようなことはなかった。
可能性があるのは、先程のレントゲン技師の接触だろう…だから触るなと言ったのに…
その状態を見て心電図担当の人も「一番楽な体勢でいいですよ」と言ってくるが、実はこの発作が出ている時にはこの状態が楽というか苦痛を覚えないため、このままで大丈夫と伝える。

不安を覚えつつ問診へと移る。
すぐに診断に入ると思いきや、医師は何やら首のこととかを酷く心配しているふうだった。
表向きそう見せていただけかも知れないが(これまでの経験で簡単には医師を信用出来ない私です)、あまりにしつこいので私から「そろそろ目とか胸とか見ましょう」と診断に移らせる。
それが終わってもまたいろいろ話してくるから、最中的に私が「キリがないのでこの辺で」と終わらせた。
これまであの健診センターには、レントゲン技師に暴力を振るわれ、医師には最初から勝手に決め付けられてこちらの話は聞いてもらえず、という対応がほとんどだったので、正直驚いた。
でも私は「病気がストレスになっている」わけではない。「ストレスが病気の後押しをしている」のだ。
だから延々と話をしても意味がない仕方がない。私が話をして少しでも救われる人など、片手ほどもいないのだから。

私の体の都合でバリウムは拒否したため、残るは超音波検査だけとなった。
だがここで予想外の事態が発生した。
途中で「両手を後ろに回して体を斜めで支えてください」と言われたのだ。
左腕が動かせず不自然に浮いているのは見ているはずで、なぜそんな無理を言うのだろうと思いながらも右腕でなんとか無理やり体を斜めに支えてみる。
すると「じゃあいいですよ、楽にしてください」と言われる。
首に負担をかけながらやったにも関わらず、その状態ではエコーを取らずに終了。
すると何を思ったのか、今度は左腕に機械をぶつけるようにしながら測り始めた。
私は何度も痛みを訴えるがまともに取り合ってはくれない。
事前の問診票にもケイツイヘルニアや左半身に後遺症があることは書いてあったはずなのに、またそれを読むこともせずに扱われたのだろう。
何度もぶつけられるのを我慢し終えた後、超音波検査は終了した。
しかし私の体はそのダメージに耐えられず、寝台から降りようとした際に転落した。
慌てて駆け寄ってくる超音波の女、よほど大きな音が鳴ったのだろう、外からも声が掛けられ他の検診センターの人も集まってきた。
「大丈夫ですか?」
と言われ腹が立った。痛いと何度も訴えたのを無視して自分の仕事だけを優先しておいて、どの口でそれを言うのだ。
そして左腕に触ろうとしたので、
「だから触るなって言ってるだろう!!」
と怒鳴り散らした。

また検診センターにやられた。
何度言っても、どれだけ問診票に書いても、どれだけ痛みを訴えてもこうやられる。

結局、仕事が出来る状態じゃないので昼で帰ることにした。

悔しい、苦しい、辛い、やり返せたら少しは楽だろうに、周りはそれを禁じるだけで、どうしてそう思うのかには触れようともしない。
どうせまたキチガイだと言われ思われ、さらにハブられることなんだろう。

踏みとどまりたいと願っているのに…

固定化する症状と、新たな症状

この頃、私は週に3~4回通院していた。
毎日でも通院して構わないと言われていたが、正直体力がもたなかった。

なんとか調子の良い日に病院に行く。
治療は痛み止めの注射を2種類受けて(皮下注射と血管注射)、その後リハビリ、機械で首を引っ張り、胸に丸いパットの電気、そして首、肩、左腕に2箇所と左膝に電気、その後マッサージ。およそ2時間ほど掛かった。
終わって家に帰ればもう動けない。ベッドに横たわったら最後、体を起こすことも難しい。あまりの痛みに体が動かない。トイレに起きることさえ出来ずにそのまま漏らしたことも多数ある。

それでも僅かずつ首と左腕の可動域が広がっていったこともあり、痛みに耐えながらの通院を続けていた。

しかしこの頃から、症状が固定化していった。

首の動きが良くならない。左腕の可動域も広がらず、突然何も感じなくなって目で見ないと腕が生えているのかも分からなくなる。

薬を飲んでいても痛みが引かない。市販薬のナロンエースとインドメタシンの湿布を大量に用いて誤魔化して寝る。
寝るのも首が痛すぎてすぐに目が覚める。寝返りも打てない。寝るほど痛みは増す。でも体を起こすことも出来ないことが多く、ただただ痛みを増すために寝ることしか出来ない。
そして気が付いたことがある。
左の肘を曲げることと、左肩で腕を上げること、その差が分からない。そもそも本来の動きには程遠いのだが、左肘を45度弱まで曲げると、私の感覚的には左腕をまっすぐ上に上げている感覚と同じなのだ。また肘を曲げずに腕を上に上げる(とは言え肘の高さぐらいまでしか上がらない)、これもまっすぐ上に上げている感覚だ。
つまり私は、左肘と左肩の区別がついていないようだった。
また左腕全体の神経がとても過敏なようで、葉っぱ1枚が触れただけでも激痛が走る。腕の骨の真ん中が痛むのだ。
結局、これらの固定化された症状は、今でもほぼ変わっていない。

また新たに気づいた症状らしきものもいくつかある。

ある暑かった日、私は暑いとも感じていなかった。
しかし服は汗だくで、『暑かったのか』とそれで気付いた。
後にはっきりとすることだが、この頃から私は気温の変化を実感しておらず、熱さ冷たさは感じ始めるまで時間が掛るもののなんとか分かるのだが、どれだけ暑くてもどれだけ寒くても私の主観は感じていない。
今でもとても困っている。

尿意と便意もほとんど感じなくなっていると、何度か漏らしてから気付いた。
尿意も便意も、ギリギリにならないと分からない。
だから時間があればトイレに行ってできるだけ出す癖がこの頃に身についた。

唾液も出なくなった。
口の中で濡れているのは下の前歯の後ろと舌の裏だけ、あとはカラッカラに乾いている。
飲み物を飲んだり飴を舐めたりしてみるも、潤うのはその直後だけ。
1年後に始まった困った事象の原因の1つがこれにあると、私は考えている。

突然倒れることも多くなった。
意識はある、しかし天地が分からなくなる(平衡感覚?脳内の何か?)、結果ぶつかったり崩れ落ちたりする。
意外にも車では平気だった。シートベルトで固定しているので倒れないし、天地が分からなくなるのに視界が歪んだりとかではないことが理由だと思う。
倒れるのはほとんどが家の敷地内で、外では倒れない。緊張している時には平気なようだった。

あの頃はまだ、「そのうち治るのだろう」と思うことが出来る自分がいた。
それ以上悪化することや、他に例を聞かないようなおかしな症状、そして治らぬまま10年以上が経過することなど思いもしなかった。

生活費

祖父が亡くなり、少し経って、ふと気がついた。

私はどうやって自分の生活をしていけばいいのだろうか?
事故に遭い仕事を失い身体も悪くし、今はまだ事故直前に働いた分の給料で暮らしているけれども、その後が続かない。
現状働こうにも働けない、まともに歩けないことも珍しくない状態ではその見通しすら立たない。立つはずがない。

そこで私は教職員共済に電話し、なんとか出来ないかと相談することにした。

私「ちょっと聞きたいことがあるんですが」
教職員共済「なんでもお聞きください、力になりますよ」
私「私、働けないんですよね」
教職員共済「えっと…軽傷と聞いてましたがまだ働けない?」
私「いや…これまで何度も説明してきましたよね?事故の影響で働けなくなって仕事を無くしたことも、まともに生活することも難しいって」
教職員共済「はい…いやでも病院では…」
私「だからそれもまともに診てもらえないからって別の病院にしたじゃないですか?それもそちらが言い出したことですよね?」
教職員共済「分かってますけど…軽傷と聞いていたので…」
私「…それで相談なんですけれど、生活は保証してはもらえないんですか?」
教職員共済「生活保障…ですか?」
私「はい。私は加害者から『任意保険が全て面倒見てくれる』と聞いています。このままでは私は収入ゼロで生活も出来なくなりますよね?」
教職員共済「はい…」
私「ですからその生活を保証してはもらえないのかと聞いています」
教職員共済「…」
私「出来ないんですか?」
教職員共済「…分かりました、生活費を出します」
私「本当ですか?ありがとうございます」
教職員共済「月12万円で足りますか?」
私「…え?」
教職員共済「ですから月12万円で足りますよね?通院費はお支払いしていますし」
私「いやいやいや…あの…私は今料理も出来ないし、家のこと何も出来ないような状態なんですよ、分かります?」
教職員共済「はい…」
私「事故前の給料を保証してもらえるんじゃないんですか?」
教職員共済「…」
私「またこっちが我慢しなくてはいけないんですか?車の精算もそう、眼鏡だってわざわざ安い眼鏡を選ばされて、またですか?」
教職員共済「分かりました、事故前の給与を保証いたします」
私「…それは本当ですよね?」
教職員共済「もちろんです」
私「生活保障として事故前の給与を保証してくれるってことですよね?」
教職員共済「その通りです」

このようなやり取りで、私は翌月以降に働いていた時と同程度の金額を出してもらえることとなった。

この時の私は『本当に救われた』と安心していた。
しかし1年後、それが保証でもなんでもなかったことを突然告げられる。
本当に、今思い出しても悔しくてたまらないが、この時の自分には知る由もない。