嘘つきの定義

「お前は嘘つきだ」

と面と向かって言うことはまずない。

たいていは

「そんなことありえないと思うけどね」
「他の人はそんなこと言っていないよ」
「まぁ気にし過ぎないで気楽に」

と言う言葉の裏で

「そんなまずありえないこと言うなこの嘘つきが」
「他の人は言ってないんだからお前の嘘に決まっている」
「実際はそんなことないのに被害妄想で騒ぎやがってこの嘘つきが」

と言っている。

自分で書いていても、ありえない対応の連続に思う。

加害者の任意保険(教職員共済)からいきなり電話で、
「そこにいたあなたにも責任があるじゃないですか」
と言われる。状況も確認しないままにそう言われる。

運ばれた病院の指示に従い翌日行けば
「そんなこと言うはずない」
と私の聞き間違いと決められる。確認してのにそう言われて、それも言うはずないと言われる。

医師には
「1番軽症なのに大げさに痛がっている」
との旨言われる。まるで当たり屋のように扱われ、症状を否定される。

「嘘つくな」とは言われていない。たしかにそんな単語は言葉は使っていない。
でもこちらの説明を否定して自分の描いたストーリーを押し付けるのは、こちらを否定しているのとは違うのですか?

私がこれまで書いてきた中で、看護師に、医師に、教職員共済職員に、嘘つき呼ばわりされたと感じています。

これから書く予定の中でも、沢山否定されてます。嘘つき呼ばわりされ、当たり屋やたかりの様に扱われています。

私の事故の過失はゼロでした。
でも仕事を無くしました。
働けるようになるにもだいぶかかりました。
働くのも以前とは違い、年に何度も労働不能になっています。
その状態で完治しない体で年に何十回も通院し、月に1万円以上支払い、毎日7種類18錠の薬を飲み、それでも動けない日があります。どの薬も痛み止めのためです。

その上でなんで私の話を、状況説明を、感じている痛みや苦しみを、否定されねばならないのですか?

そう言う暗に人を否定する者たちこそ、私は嘘つきといいたい。
自身が楽するために、優位になるために、他の人にツケを回す、それこそ嘘つきだと定義したい。

本当の事故原因についての考察

事故直後に私が加害者から聞いた事故原因は
「CDを入れ替えていて、気がついたら目の前に車がいた」
であった。
正確には
「CDを入れ替えていて、気がついたら目の前に車がいて間に合わなかった」
と言ったと記憶している。

しかし警察で警察官から聞いた加害者の言い分は
「車が近づいてきたのが分かったのでブレーキを踏もうとしたが、間違ってアクセルを踏んでしまったと言っている」
だった。

私が聞いた話の「間に合わなかった」は、何が間に合わなかったのだろう?
ブレーキを踏むのが間に合わなかったのか、それともブレーキを踏んだが間に合わなかったのか、どちらなのだろう?

警察から聞いた話では「ブレーキを踏もうとしたが、間違ってアクセルを踏んでしまった」となっている。
これはつまりブレーキを踏んでいない、ということではないだろうか?
おそらく現場検証などもしているだろうが、その結果(ブレーキ痕があるかどうか)を私は知らない。裁判の詳細も分からない。
ただ警察官の言葉を信じるならば、あれはブレーキを踏んでいないという内容であるはずだ。

私が聞いた話に戻って、ブレーキを踏んでいないのだとすれば、ブレーキを踏むのが間に合わなかったということになる。

視点を変えて、

警察の話では「間違ってアクセルを踏んでしまった」となっているのだから、衝突までにさらに加速していただろうことが想像できる。例えば50km/hで走行してきたが、誤ってアクセルを踏んで80km/hで衝突した、というように。
しかしもし私の聞いた話でブレーキを踏むのが間に合わなかったのだとしたら、例えばスピード違反の80km/hで走行してきてそのまま2台の車を左右に弾き飛ばし、私の車に直撃しながら隣の車にもぶつかり、それぞれが前方車両に玉突きした、ということになるのだろう。

加害者車両はトヨタのベルファイヤだった。2トンぐらいある大きな車だ。
しかし大きな車とはいえ、2台の車を左右に蹴散らし、完全に停止してパーキングブレーキもブレーキも掛けている車を車間距離を撮っている前方車両にまで玉突きさせるほどの威力をもたらすためには、果たしてどのぐらいの速度で追突すればいいのだろうか?

この事故の本当の原因は、ブレーキとアクセルの踏み間違えではなく、運転中にCDを入れ替えたという加害者の行動でもなく、加害者の無責任な速度超過での運転によるものが大きのではないかと、事故から10年以上経った今、私は考えています。