固定化する症状と、新たな症状

この頃、私は週に3~4回通院していた。
毎日でも通院して構わないと言われていたが、正直体力がもたなかった。

なんとか調子の良い日に病院に行く。
治療は痛み止めの注射を2種類受けて(皮下注射と血管注射)、その後リハビリ、機械で首を引っ張り、胸に丸いパットの電気、そして首、肩、左腕に2箇所と左膝に電気、その後マッサージ。およそ2時間ほど掛かった。
終わって家に帰ればもう動けない。ベッドに横たわったら最後、体を起こすことも難しい。あまりの痛みに体が動かない。トイレに起きることさえ出来ずにそのまま漏らしたことも多数ある。

それでも僅かずつ首と左腕の可動域が広がっていったこともあり、痛みに耐えながらの通院を続けていた。

しかしこの頃から、症状が固定化していった。

首の動きが良くならない。左腕の可動域も広がらず、突然何も感じなくなって目で見ないと腕が生えているのかも分からなくなる。

薬を飲んでいても痛みが引かない。市販薬のナロンエースとインドメタシンの湿布を大量に用いて誤魔化して寝る。
寝るのも首が痛すぎてすぐに目が覚める。寝返りも打てない。寝るほど痛みは増す。でも体を起こすことも出来ないことが多く、ただただ痛みを増すために寝ることしか出来ない。
そして気が付いたことがある。
左の肘を曲げることと、左肩で腕を上げること、その差が分からない。そもそも本来の動きには程遠いのだが、左肘を45度弱まで曲げると、私の感覚的には左腕をまっすぐ上に上げている感覚と同じなのだ。また肘を曲げずに腕を上に上げる(とは言え肘の高さぐらいまでしか上がらない)、これもまっすぐ上に上げている感覚だ。
つまり私は、左肘と左肩の区別がついていないようだった。
また左腕全体の神経がとても過敏なようで、葉っぱ1枚が触れただけでも激痛が走る。腕の骨の真ん中が痛むのだ。
結局、これらの固定化された症状は、今でもほぼ変わっていない。

また新たに気づいた症状らしきものもいくつかある。

ある暑かった日、私は暑いとも感じていなかった。
しかし服は汗だくで、『暑かったのか』とそれで気付いた。
後にはっきりとすることだが、この頃から私は気温の変化を実感しておらず、熱さ冷たさは感じ始めるまで時間が掛るもののなんとか分かるのだが、どれだけ暑くてもどれだけ寒くても私の主観は感じていない。
今でもとても困っている。

尿意と便意もほとんど感じなくなっていると、何度か漏らしてから気付いた。
尿意も便意も、ギリギリにならないと分からない。
だから時間があればトイレに行ってできるだけ出す癖がこの頃に身についた。

唾液も出なくなった。
口の中で濡れているのは下の前歯の後ろと舌の裏だけ、あとはカラッカラに乾いている。
飲み物を飲んだり飴を舐めたりしてみるも、潤うのはその直後だけ。
1年後に始まった困った事象の原因の1つがこれにあると、私は考えている。

突然倒れることも多くなった。
意識はある、しかし天地が分からなくなる(平衡感覚?脳内の何か?)、結果ぶつかったり崩れ落ちたりする。
意外にも車では平気だった。シートベルトで固定しているので倒れないし、天地が分からなくなるのに視界が歪んだりとかではないことが理由だと思う。
倒れるのはほとんどが家の敷地内で、外では倒れない。緊張している時には平気なようだった。

あの頃はまだ、「そのうち治るのだろう」と思うことが出来る自分がいた。
それ以上悪化することや、他に例を聞かないようなおかしな症状、そして治らぬまま10年以上が経過することなど思いもしなかった。

生活費

祖父が亡くなり、少し経って、ふと気がついた。

私はどうやって自分の生活をしていけばいいのだろうか?
事故に遭い仕事を失い身体も悪くし、今はまだ事故直前に働いた分の給料で暮らしているけれども、その後が続かない。
現状働こうにも働けない、まともに歩けないことも珍しくない状態ではその見通しすら立たない。立つはずがない。

そこで私は教職員共済に電話し、なんとか出来ないかと相談することにした。

私「ちょっと聞きたいことがあるんですが」
教職員共済「なんでもお聞きください、力になりますよ」
私「私、働けないんですよね」
教職員共済「えっと…軽傷と聞いてましたがまだ働けない?」
私「いや…これまで何度も説明してきましたよね?事故の影響で働けなくなって仕事を無くしたことも、まともに生活することも難しいって」
教職員共済「はい…いやでも病院では…」
私「だからそれもまともに診てもらえないからって別の病院にしたじゃないですか?それもそちらが言い出したことですよね?」
教職員共済「分かってますけど…軽傷と聞いていたので…」
私「…それで相談なんですけれど、生活は保証してはもらえないんですか?」
教職員共済「生活保障…ですか?」
私「はい。私は加害者から『任意保険が全て面倒見てくれる』と聞いています。このままでは私は収入ゼロで生活も出来なくなりますよね?」
教職員共済「はい…」
私「ですからその生活を保証してはもらえないのかと聞いています」
教職員共済「…」
私「出来ないんですか?」
教職員共済「…分かりました、生活費を出します」
私「本当ですか?ありがとうございます」
教職員共済「月12万円で足りますか?」
私「…え?」
教職員共済「ですから月12万円で足りますよね?通院費はお支払いしていますし」
私「いやいやいや…あの…私は今料理も出来ないし、家のこと何も出来ないような状態なんですよ、分かります?」
教職員共済「はい…」
私「事故前の給料を保証してもらえるんじゃないんですか?」
教職員共済「…」
私「またこっちが我慢しなくてはいけないんですか?車の精算もそう、眼鏡だってわざわざ安い眼鏡を選ばされて、またですか?」
教職員共済「分かりました、事故前の給与を保証いたします」
私「…それは本当ですよね?」
教職員共済「もちろんです」
私「生活保障として事故前の給与を保証してくれるってことですよね?」
教職員共済「その通りです」

このようなやり取りで、私は翌月以降に働いていた時と同程度の金額を出してもらえることとなった。

この時の私は『本当に救われた』と安心していた。
しかし1年後、それが保証でもなんでもなかったことを突然告げられる。
本当に、今思い出しても悔しくてたまらないが、この時の自分には知る由もない。

4月17日

突然遭遇した交通事故からちょうど1ヶ月後の4月17日、いつものように病院に行き、夕方に実家を訪れると、部屋に祖父がいなかった。
危篤となり緊急入院したとの話だった。

急ぎ病院へと向かう。

ベッドの上の祖父は呼吸器を付け眠っていた。
呼びかけにも反応しない。ただ呼吸器により息をしているだけ。
呆けていろんなことを忘れていったが、最後まで私のことは分かっていた祖父だったが、結局亡くなるまで意識が戻ることはなかった。

実家に戻ると二親からこんなことを言われた。

「落ち込むとかわいそうだから、ばぁちゃんとお前の子供は見舞いに連れて行くな」

私はこの言葉が理解できなかった。
本人の意志はいいのか?
かわいそうかどうかは周りが決めることなのか?
それは単に落ち込ませたら自分が悪いことをしたと思うから言っているだけではないのか?

だから私は祖母に訊いた

私「じさまいなくなっただろ?」
祖母「今日は見てないね」
私「病院に入院している。良くないみたいだ」
祖母「はぁ…」
私「どうする?会いに行くか?」
祖母「…行きたいね」

私の子供も同じ答えだったので、私は二親の言葉を無視して祖父の入院する病院に連れて行った。

祖母は祖父を見て顔を撫でて、

祖母「もう駄目だね」

と言った。

帰りに車の中で祖母は言った。

祖母「あれはもう長くないね…駄目だね…近い内にそうなるから、悪いけど葬式とかお願いね…ばぁちゃんはもう弱って座っていることも辛いから全部任せるよ…」

祖父は2008年4月26日に亡くなった。

祖母は葬儀には出ず、棺に入った祖父の顔を何度か眺めただけだった。

祖父母の通院のために買ったスズキのパレット。
納車から半月で事故に遭い、そのまま廃車となり、それに一度も乗ることなく祖父は死んだ。
葬儀の合間にも通院しなければならないのが苦しかった。

銀のパレットと白いパレット

教職員共済が用意していて代車のパッソは30日で返却することとなった。
まずは加害者にも話をしておこうと電話をかけてみました。
しかし呼び出し音は鳴るものの、加害者はいっこうに電話に出ません。
そこで私はディーラーへ相談に向かいました。
代車は教職員共済が私のディーラーに連絡して手配させる、という手段で私に渡っていたので、どのみちディーラーに行かねばなりません。またそもそも事故に遭った車の代わりとなる車の購入の話で会うことになってもいました。

店舗に到着すると、私の担当の店長は教職員共済とのことをすでに知っているらしかった。

店長「代車の返却期限が迫っていますよね」
私「そうみたいですね…私はそんな説明聞いてなかったんですが」
店長「そうですか…ところで新しいお車をご購入されることをお決めいただいたとか」
私「はい…なんとか加害者からも出してもらえたので精算できるので」
店長「それはよかったです、それなら代車を出せますよ」
私「え?代車が出るんですか?」
店長「購入が決定すれば出せます!!」

話はトントン拍子で進んだ。

事故により無職になった私には、新しいローン会社が用意されていた。新しいローンは保証会社のようなものが付き、支払いが滞った場合にはその会社に車の所有権が移る、という内容だった。
車は最速で納入できるという話の銀色のパレットにしたのだが、どういうわけか納車は1ヶ月後になるとのことだった。

心配していた代車はこの日にもう用意された。
代車は白いパレット、ディーラーの試乗車だったようだ。
ラジオすら無い本体のみの使用では遭ったが、私は
「これなら祖父母の通院に困らない」
と胸をなでおろしていた。
正直パッソではドアも車内も狭すぎて、祖父を抱えて車に入ることなどは出来ない状態だったので、そのために購入したパレットと同じ車が代車になったのはありがたいことだった。

少しだけ前進したと、この時は思っていた。

レンタカー

ようやく車をどうするかの目処が立った。

事故に遭った車を教職員共済からの120万円と修理工場下取りの5万円、そして加害者から出してもらった10万円で精算し、新たな車は新規にローンを組んで購入する。
3月17日の事故から1ヶ月近く経って、ようやく車の問題が解決する。

そう思った矢先、教職員共済から電話が来て予想外のことが告げられた。

教職員共済「車の件はどうなりましたか?」
私「加害者がなんとか不足分を出してくれることになり、なんとか事故車の精算は出来ることになりました」
教職員共済「それはよかった…それで新しい車はいつ納車ですか?」
私「5月中旬になると聞いてます」
教職員共済「あぁ…それはまずいですね…」
私「まずい?なにがです?」
教職員共済「いやぁ…レンタカーがもう終わりますよね…」
私「はい?なんのことですか?」
教職員共済「ですから事故後にレンタカーを手配してからもうすぐ30日ですので、もうレンタカーは出せなくなるんですよ…」
私「なんですかそれは、初耳ですけれど」
教職員共済「いやでもそういう決まりですので」
私「いやいやいや…あなたそんなこと言ってませんでしたよね?」
教職員共済「…」
私「解決するまでレンタカーの心配はしなくていいって言いましたよね?」
教職員共済「こんなに時間がかかるとは思っていなかったので…」
私「私最初に言いましたよね?パレット(事故に遭った私の車)は発売されたばかりで納車はおろか、部品調達も時間がかかるとディーラーから言われてるって、私説明しましたよね?」
教職員共済「ですが…」
私「その時にあなたが修理が終わるか車を買うまでレンタカーを出すって言ったんですよ?」
教職員共済「ですが30日という決まりがありまして…」
私「その説明一度でもしてくれましたか?私は一度もそんな話は聞いていませんよ?」
教職員共済「でも普通は30日と決まっていますので…」
私「契約している加害者はその情報知っているでしょうけれど、こちらは補償範囲とかなど聞かされなければ分からないわけですよ。だからこっちは状況を説明して時間がかかると言ったんです。それに対して問題ないとあなたは説明し、30日しかダメだとは一度も言っていませんでしたよね?」
教職員共済「ですがそういう決まりなので…」
私「決まりとかは分かりました。じゃああれですか?私に自分でレンタカーを借りろと言うんですか?」
教職員共済「そうなってしまいます…」
私「おかしいじゃないですか?あなたが大丈夫と言ったから安心してできるだけ急いで話を進めたのに、またこっちに背負えって言い出すんですか?」
教職員共済「そういうことは言っていませんが…」
私「でも自分でレンタカー代どうにかしろって言ってるじゃないですか」
教職員共済「でもそうなってしまうので…」
私「それともまた加害者にお願いしろって言うんですか?あんな嫌な思いをさせられてまた…」
教職員共済「でもこちらでは出せませんので…」
私「ならどうして最初に説明してくれないんですか?」
教職員共済「こんなに時間がかかるとは思っていなかったので…」
私「だからそういう口先だけの言葉なんてどうでもいいんですよ…信号待ちしていただけなのに事故に遭って、補修すると言うから信じたら、あれは出せない、これも駄目…覚えてます?メガネだってこっちが妥協してそちらの言い分に合わせてるんですよ?車だってそうです、どんだけ苦しめるんですか!?」
教職員共済「ですからご迷惑をお掛けして申し訳ないですが、こちらではレンタカー貸出から30日で終了ですので…申し訳ございません…」

その後、何を話しても「レンタカーは出せない」の一点張りだった。
車の購入に関してようやく解決したと思ったら、その納車までの足を私は失うこととなった。

不足分10万円

数日後、加害者に直接会って車の精算の不足分10万円を受け取ることとなった。

加害者「10万円用意してきました」

と封筒を差し出す。
受け取ろうとする私に加害者は言った。

加害者「お願いですからこれ以上請求しないで下さい…私だってもうお金無いんですよ…」

何を言っているのだろう、と思った。
お金がないのはこちらも同じだ。
いや、むしろ、自身の行動で事故を起こした加害者の金が尽きるのは自業自得でも、こちらは加害者の行動によって仕事も失い健康も害して、あげく過失ゼロなのに10万円を背負わされ掛けている。言うなれば「お金無い」はこっちのセリフだ。
だからそれを加害者が保証するのは当然であり、仮にそれで加害者自身が困窮したとしても被害者を優先するのは当たり前ではないのか?
それをまるで…これでは私がタカリか何かをしているかのようではないですか…なんでそんな言われようをされねばならないのだろうか…

私「そちらの犯した事故でこうなっているって分かってますか?」
加害者「それは分かっていますけど…」
私「別に過剰に請求しているわけではないんですよ。あなたのベルファイアが追突して廃車にするしかない私のパレットを精算して、自力で車を買い直すと言ってるんです」
加害者「でも…」
私「あなたが教職員共済が全て面倒みると言ったけどそうはならなかった。だから足らない分をお願いしたんじゃないですか?あなたも私の言い分に納得したからお金を用意したんですよね?」
加害者「…」
私「本当なら修理会社が特別に買い取ってくれることになった5万円だって、あなたが払って当たり前じゃないんですか?車が廃車になったのはあなたのせいなんですから…それなのになんで私が『たからないでくれ』と責められるんですか?」
加害者「分かりました、分かりましたから、まずは受け取って下さい」
私「不当に請求はしませんが、」
加害者「」

納得してはいないが、ひとまず封筒受け取り中身を確認する。

加害者「ですがなんとかこれ以上の請求は…」
私「…約束はできませんよ。教職員共済が保証してくれず足らない場合には相談するしかないですよね?教職員共済もあなたに相談してくれと言っていますし…それともあなたの犯した被害のツケを私に背負えと?」
加害者「それはそうですけど…僕ももう本当にお金がないんですよ」

これ以上話しても無駄なようだ。
そこで私はケータイのキャリアの変更に話しを振った。少しでも節約して無駄金を減らして欲しいと暗に提案するつもりで。

「ところでケータイを、ウィルコムにしてみるつもりは?」
加害者「え…でも番号変わると困るし…」
私「そんなの連絡すればいいだけてしょ。それに2台持ちで併用するだけでも君の場合は月に5000円は安くなるはずだよ」

以前、加害者とはケータイの話をしたことがあり、通話多用なのを知っていたための提案だ。
しかしどうにもしっくりこないようだ。表面上話を合わせて同調しているだけで、節約する意思がないように思われた。
事実、その後キャリア変更や2台持ちした形跡はなく、車も安いものに買い換えることもなく修理して使うという話だった。

結局、自分の生活を切り詰めるつもりはなく、被害者に保証すべき部分を減らして賄おうとしているように思えた。

だからどうしても訊きたかった質問をした。

私「ところで仕事は大丈夫なの?公務員で事故はまずいでしょ?」
加害者「なんとか同僚には隠し通せそうなんで…」
私「そっか、隠すんだ…でも生徒は?中学生の生徒たちにはどう説明するの?」
加害者「もちろん隠します!絶対にバラしません!!」
私「…」

この言葉は私にはとてもショックだった。
当たり前と言えば当たり前のことかもしれない。誰も自らの非を晒したくはないだろうし、隠せるものなら隠したいのかも知れない。

しかし中学教師がそれをするということは、生徒たち「人に被害を与えても逃げればいい、責任など取らずに知らんぷりすればいい」、と言っているように思えた。
当時、私の子供が中学生だったこともあり、私は彼の言葉を理解することが出来なかった。

結局、保証すると言ったのも反省したように見えたのもフリだけで、だから警察にも嘘の自供をし、被害者をタカリ呼ばわりして自分の財布を守ることに躍起なのだ。
そう思えた。

この日以降、加害者は一度も私からの電話には出れくれていない。
やはりそういう考えの人なのだろうと思った。

事故に遭った車の精算

事故に遭った車の支払い残金を精算するには、135万円が必要となる。
しかし相手の任意保険である教職員共済は120万円しか出さないと言う。こちらの過失がゼロでも全ては保証しないそうだ。
つまり15万円足らない。

そのことをディーラーに相談すると、
「修理工場が特別に5万円で下取りしてくれることになった」
と言ってきた。
全てのパーツを交換しなくてはならないって話だったのだが、それでも使えるパーツを見つけるつもりなのだろうか?
よく分からないが、とにかくこれであと10万円をどうにかすることとなった。

しかし私は今、無職だ。
事故により働けなくなった。
貯金もない…事故前に2年ほど祖父母の介護をしており職につけない状態で、実家が出してくれる4万円で光熱費や通信費等を払ってろくに食料も買えず、という生活で、祖父母の介護の際の食事のおこぼれをもらってかろうじて生きていただけ、貯金などあるはずもない。

これから自分でまた車を買うって時に、さらに10万円の負担を背負うのはかなり厳しい。

仕方ないのでダメ元で加害者に連絡をした。

電話を掛けて事情を話す。
私「私の考えではこちらの過失はゼロ、何1つ私に責任はないと考えているので、事故に遭った車の精算の一部でもこちらがするのはおかしいと思っていますが」
加害者「そのことは任意保険が全て面倒見るとお話しましたよね?」
私「その教職員共済が全額は出せないから加害者に相談しろと言ったんですよ」
加害者「そんなこと言われても…」
私「あの時、任意保険に任せるの他に、必ず賠償はすると言いましたよね?約束しましたよね?」
加害者「言いましたけど任意保険が全部やってくれると思っていたので…」
私「それが無理だからお願いしているんですよ」
加害者「そう言われても…こちらも辛いんですよ…」

私は思っていることをぶち撒けた。

私「こっちは非がない上に辛い目にあってますよ。新しい車はこちらでなんとかするから、事故に遭った車のことはお願いします、と言っています。私の過失はゼロなのに、事故を食らった車の残債まで背負わねばならないんてすか?」
加害者「それは…たしかにそうですけれど…」
私「あの時の言葉も嘘だったんですか?」

私のこの発言は、暗に事故直後とは違う説明を警察にしていたことを含めての言葉だったが、加害者に伝わったかどうかは分からない。

加害者「…分かりました、なんとかします」

こうして事故に遭った私のパレットの残債、その精算の目処がようやく立った。

車をどうするかを決めるも…

新しい病院で治療を開始して数日、何度か病院にいき、治療効果を実感していた。

左腕はまだ動く範囲が狭いが、左腕や首、左脇腹痛みは少しマシになった。
痺れは全く変わらないが、痛みの存在は感じるものの遠くにあるように感じるだけでだいぶ楽だ。
例えるならば、好きでもない音楽を爆音で鳴らされた時、すぐ近くなら苦痛だが、少し離れればうるさい程度で我慢できる。
治療を受けるとそんな感じの痛みになる。
ただ翌々日にはもう辛くなるので、週に3〜4回ほど通院すればの話だ。

これならもしかしたらもう少しマシになれるかもしれない。

そう考えた私は車についての決断をした。

教職員共済から出るはずのお金で事故に遭った車の残債を精算し、新たにローンを組んで新車を買う。

実家からの「祖父母を病院に運ぶために車を買え」との要求に応じつつ、事故に遭った車に関して区切りをつけ、そして治療に専念するために悩みの種を減らす、完璧なプランに思えた。この時はまだ治ると信じていたからだが…。

まずはそのことをディーラー担当に伝える。すると残債等を計算してくれ、135万円という数字が出た。
そこで教職員共済に電話し伝える。

私「車をどうするか決めました」
教職員共済「そうですか、良かった。早い方がいいですからね。買うのは中古にします?それともやはり新車てすか?」
私「買うのは新車ですが、お金を出して欲しいのは事故に遭った車の方です」
教職員共済「…」
私「事故に遭った車を一度精算して、その後で自分でまた車を買うことにします」
教職員共済「あぁ…そうですか…分かりました…いくらぐらいになりますか?」
私「調べてもらったら135万だそうです」
教職員共済「あぁ…そうですか…困りましたね…」
私「はい?何がですか?」
教職員共済「あのですね…120万円しか出せないんですよ…」
私「え?なんでですか?」
教職員共済「いちどでも乗ると中古車扱いになりますので…」
私「それは分かりますが、精算に必要な代金を支払ってくれるんじゃないんですか?」
教職員共済「ですからそこは決められた金額の中でやっていただくしか…」
私「いやいや、加害者は教職員共済が全て面倒みてくれると言ったから実際に必要な金額を出して下さいと言っているんです」
教職員共済「ですからそこは中古車の上限がありますので…」
私「それを言ったら世の中には新車は存在しないことになりますよね?新車の納車で即乗って事故起こしても中古車だ、と言うんでしょう?」
教職員共済「そう…なりますね…」
私「じゃあ私の新車が事故に遭ったのもウソだと言うんですか?」
教職員共済「いえ、けしてそんなことではないのですが…私共も悪意があって言っているわけではありませんので…」
私「ではこちらから悪意があって過剰に請求しているとでも言うんですか?信号待ちしていただけなのに追突され、仕事もなくして病院通いして、その上加害者の起こした事故のツケの一部を私に背負えと?」
教職員共済「けしてそういうことではないのですが…こちらの責任でもありませんので…」
私「じゃあどうしろと言うんですか?私に不足分を背負えと言ってるのでしょう?」
教職員共済「そういうことでは…では相手に直接請求してみてはいかがですか?」
私「加害者に?」
教職員共済「そうです。事故を起こした本人が支払うのが当たり前ですから」
私「でもその当事者が言ったんですよ?教職員共済が全て面倒見るって、被害も全て保証するって」
教職員共済「申しわけありませんが限度がありますので…」
私「じゃあ教職員共済では全額保証してくれないんですか…」
教職員共済「そうなります…申し訳ございません…」
私「じゃあもし事故に遭った車のローンを払い続けて新たに買う車の代金を払ってもらうとしたら?」
教職員共済「金額は同じになります…」
私「…つまりは新車は無理ってことですか?あるいはもっと安い車で我慢しろということですか?」
教職員共済「申し訳ございません…やはり一度でも乗った車は中古車ですので全額は保証できないんですよ…」
私「わたしは事故前の状態に回復してもらいたいだけですよ?実際に135万円掛かるんです、事故を食らった車を精算するだけでも。しかもこちらに過失がないのに、足らない文は被害者が背負うのが当たり前と言うんですか?」
教職員共済「申し訳ございませんが、車両に関してはそうなります」
私「車両だけでなくメガネでも何でも安くしろ安くしろ言われて従って、その上で金出せと言うんですね?」
教職員共済「いえ…そういうわけではないのですが…一度落ち着いてディーラーさんと加害者さんに相談されてみてはいかがですか?」
私「何を言っても120万円しか出さないと言うことですか?」
教職員共済「これでもだいぶ上積みしてあげたんですよ?こちらも頑張って出してあげてるんですよ?」
私「いくら上乗せしようと足らないなら私に出せと言うことですよね?こちらはただ信号待ちして停まっていただけなのに…」
教職員共済「申し訳ありませんがこちらもどうにも…」
私「分かりました、仕方ないので加害者に相談します。ほかのこともこの調子で保証してはもらえないんですか?」
教職員共済「他のこと…と申しますと?」
私「生活保証とか…私は働けなくなってるんですよ…」
教職員共済「そちらはご安心下さい。事故前の生活は保証しますので」
私「車代を追加で払わなければならない時点で金銭的負担は増えるので、収入を保証されても事故前の生活には戻れませんけどね」
教職員共済「…申し訳ございません…」

このようなやり取りでこの日は電話を切った。

全パーツを交換して修理しても事故車のローンが残って3年後の車検が通らない可能性が高く、事故に遭った車を精算するにも身銭を切らねばならない。
仮に教職員共済からくるお金で新車を買うにしても同じ車種では金額が足りず、だいぶグレードを落とした車種にしない限りは身銭を切ることとなり、その範囲内で中古車を買ったとしても車検は新車より短くなり、そのどれらでも事故に遭った車のローンを払い続けることとなる。

結局、被害者が加害者の罪のツケを被るのだと、私は知った。

新しい病院での治療

診察の最後に、治療の説明があった。
医師「まずは痛み止めの注射を2本、お尻と血管注射をしますが、アレルギーとかないよね?」
私「アレルギーとかかは分からないんですが、日赤で事故の1週間後に打った注射で具合悪くなりました」
私は八戸赤十字病院で駐車された後に起きた症状を説明した。
医師「それって何の注射だったかわかる?」
私「いえ…注射や薬などの説明とかは一切してくれなかったんで…ただ血管注射でした」
このとき医師は「たぶんあれかな」というような事を話してくれたが、どの種類の注射が疑わしいと話してくれたのかを私は覚えていない。
医師「もし注射やリハビリで不調を覚えたらすぐに言ってください。合わない場合もありますので」
私「分かりました」
医師「注射が終わったら2階でリハビリです。リハビリについては2階で看護師が説明します」
私「はい」
医師「あとは飲み薬を出します。3種類、1つは痛みを抑えるための薬、1つは回復を早めるためのビタミンのお薬、もう1つは薬で胃腸が悪くならないようにするお薬です」
私「分かりました」
医師「まずはこの治療を試してみて、症状を見ながら改善していきましょう」
私「分かりました、ありがとうございます」
これはおそらく、病院においては普通のやり取りだったのだと思う。しかし八戸赤十字病院ではこのような対応は一切されなかったので、これほど違うものなのかと、とても驚いた。

説明の後、隣の処置室のようなスペースに通された。
カーテン、パーテーションで仕切られたスペースに診療台があり、そこにうつ伏せに寝る。
お尻に痛み止めの注射を受けると、更に隣のスペースへと移動する。
そこは血管注射や点滴をするスペースのようで、そこで腕に血管注射を行った。

それらが終わると看護師が2階へと案内してくれた。
エレベーターで2階に上がる。様々な治療機器が目に入る。

まずは頭部にベルトを掛けて首を伸ばす機械からだった。
ヘルメットのあご紐だけのようなものを頭部…耳から下と言えばいいかアゴと言えばいいか、その辺りに装着し、機械で首を引っ張る。
看護師に「痛くないか」「きつくなく丁度良いぐらいが効果がある」と言われるが、初めてのことでどのぐらいか分からない。
ひとまずその時の設定でやっていくこととなった。
痛みは覚えなかったが、あの装着具合は私には不快だった。

次に電気治療、これを左手小指側の手首から肘までの延長線上で2箇所と、左膝に行うという。
これについても看護師が「痛くない程度がよい」「ピリピリするぐらいでよい」と言われたが、ここで問題が発生した。
電気を感じない。
電気が流れている感じ、ピリピリと言われるその感じが、まったくない。
看護師は首をひねりながら何度も電極パッドを確かめ、少しずつ出力を上げていく。
それでも電気を感じない。どんどん強くなっていく。
「痛い!!」
突然左腕に痛みが走った。看護師が慌てて電気を弱くする。しかし電気自体は感じていない。あるレベルから急に痛みが走り、下げると痛みが無くなる。その間、電気は感じていない。
何度か出力を上げ下げするが、やはり電気は感じずあるラインを超えると急に痛くなる、それだけだった。
電気を感じないのは私だけらしく、しかしながら私は今まで電気治療を受けた経験が無く、正直何がなんだか分からない状態だった。
とりあえず痛くなる直前の強さで電気を掛けられることとなる。

そして最後にマッサージの先生によるマッサージ。もみ始めてすぐに先生が言う。
マッサージ「ずいぶん固まってるね…これは時間が掛かりそうだ…何があったの?」
私「交通事故です」
マッサージ「だいぶほっとかれたか?」
私「日赤では軽症だからの一点張りで話も聞いてくれませんでした」
マッサージ「そうか…まぁ無理しない範囲で動かして、徐々にほぐしていこう」
私「無理しない方がいいんですか?」
マッサージ「そうだね、無理しても良くはならないからね」
私「そうなんですか…」
日赤では無理してでも動かした方が良いみたいに言われていたが、ここでは違うと言っている。

正直、これほど対応が違うとは思わなかった。そもそも病院を信用していなかったのもあるが、ここまで対応に落差があるとは…救急車で八戸赤十字病院に運ばれたのが無駄だったのではないかと思うほどだ。

こうして事故から3週間が経ち、ようやく私は事故の治療を受け始めることが出来た。

新しい病院での診察

教職員共済から「手続きが終わった」との連絡があり、新しい病院に行ってみた。
八戸中心街に含まれる地域にあるその整形外科。中には入ったことはないが、子供の頃に近くの小児科に何度も行っていたためその存在は知っていた。

駐車場の広さは20台ほど。混雑時には満車で停められないかもしれないが、その時は近くの有料駐車場のお世話になろう。

中に入ると、わりと多くのスリッパと靴置きスペースがあった。紫外線殺菌のケースもある。いい感じだ。

受け付きに行き話をする。大きな水槽をマジマジと観察する間もなく、すぐに看護師さんが来て用紙に症状を書くことになった。
そしてレントゲン…事故直後よりもだいぶ硬直して動かなくなってしまった体でなんとか指示された体勢になろうとするが、痛みが酷くてうまくいかない。
病院を信用していない私の頭に一瞬不安がよぎったが、ここの看護師は「無理しなくていい」と言ってくれた。そして出来る範囲、私に無理がない体勢でレントゲン写真を撮ってくれた。今思えば当たり前のように思えるが、これまでの八戸赤十字病院での対応が頭にあったため、その時の対応をとても嬉しく思ったことを覚えている。

レントゲン撮影が終わり廊下の長椅子で待つ。すぐに診察室によばれる。

医師「交通事故に遭ったんだって?たいへんだったね。今はどこがつらいのかな?」
私「事故当日は右腕と首の後と右側が痛かったんですが、翌日になったら左腕と左肩、首の左側の方が痛みだして、左手の指、特に小指と薬指の半分が肘に掛けて痺れていてうまく動きません。左手にも力が入りません。あと左わき腹にも痛みがあります」
医師「なるほど…あとは?」
私「首が回らなくなってきて、左腕の動きも狭くなってきて、あと左膝に力が入らずストンと抜けて転んだり…これって交通事故とは関係ないんですか?」
医師「そうだね…」
医師はレントゲンを見つめた後、私に触診を始め関節の可動範囲を確かめているようだった。
医師「まず小指の痺れだけれども、頚椎の7番に問題があると出る症状なんだよね。でもレントゲンを見る限りでは骨折やヘルニアなどの異常はない」
私「それは関係ないってことですか…?」
医師「いや、レントゲンに写ってないだけでヘルニアであることもある。たまたま角度でレントゲンには写ってないとかね。でも何らかの異常があるから痺れとか出ているわけだし、左腕もだいぶ硬直して固まっちゃっているので後遺症と考えるべきだよね…しかし酷いな…事故からろくな治療を受けてなかったのかな…」
私「日赤で何度説明しても1番軽症だからと言って診てもらえませんでした」
医師「それは酷いな…すぐに治療を始めていればね…あと気になるのは、ほらレントゲンのココやココを見てみて」
首と背中の骨を指してなぞる。
医師「これね、真っ直ぐ過ぎるんだよ。首も背骨も緩やかにS字になってるものなんだけど、これは明らかに真っ直ぐ過ぎる、余裕がない。ストレートネックとか言うんだけど、これまでそんなこと言われたことあるかな?事故前から首痛かったとか」
私「いえ、言われたこともないですし、首が痛いこともまるでなかったです」
医師「だとすると明らかに事故の影響でこうなっているのだと思います。あと首の後ろに白くモヤっとしている影、見えるかな?」
私「あぁ…なんかありますね」
医師「首の後ろに骨が出来始めてるね」
私「骨ですか?」
医師「そう、骨なんだよこれ。あと左脇腹は原因が分からないけれど、事故後に出てきたのでこれも事故起因の神経痛だと思います」
私「神経痛ですか…」
医師「膝は筋力が落ちてる可能性もあるので、その方向でのリハビリをお薦めします」
私「私の痛みや苦しみは事故の後遺症なんですか?」
医師「そうだね。そう考えるのが自然だね。日赤の医師が何故気が付かなかったのか分からないけれど、これは明らかに後遺症。事故直後だけでなく、後から出てくる症状もあるからね」

事故から約3週間、私はようやく自身の不調が交通事故による後遺症だと認めてもらうことが出来た。
医師から嘘付き呼ばわりされずに済んだ。