新しい病院での治療

診察の最後に、治療の説明があった。
医師「まずは痛み止めの注射を2本、お尻と血管注射をしますが、アレルギーとかないよね?」
私「アレルギーとかかは分からないんですが、日赤で事故の1週間後に打った注射で具合悪くなりました」
私は八戸赤十字病院で駐車された後に起きた症状を説明した。
医師「それって何の注射だったかわかる?」
私「いえ…注射や薬などの説明とかは一切してくれなかったんで…ただ血管注射でした」
このとき医師は「たぶんあれかな」というような事を話してくれたが、どの種類の注射が疑わしいと話してくれたのかを私は覚えていない。
医師「もし注射やリハビリで不調を覚えたらすぐに言ってください。合わない場合もありますので」
私「分かりました」
医師「注射が終わったら2階でリハビリです。リハビリについては2階で看護師が説明します」
私「はい」
医師「あとは飲み薬を出します。3種類、1つは痛みを抑えるための薬、1つは回復を早めるためのビタミンのお薬、もう1つは薬で胃腸が悪くならないようにするお薬です」
私「分かりました」
医師「まずはこの治療を試してみて、症状を見ながら改善していきましょう」
私「分かりました、ありがとうございます」
これはおそらく、病院においては普通のやり取りだったのだと思う。しかし八戸赤十字病院ではこのような対応は一切されなかったので、これほど違うものなのかと、とても驚いた。

説明の後、隣の処置室のようなスペースに通された。
カーテン、パーテーションで仕切られたスペースに診療台があり、そこにうつ伏せに寝る。
お尻に痛み止めの注射を受けると、更に隣のスペースへと移動する。
そこは血管注射や点滴をするスペースのようで、そこで腕に血管注射を行った。

それらが終わると看護師が2階へと案内してくれた。
エレベーターで2階に上がる。様々な治療機器が目に入る。

まずは頭部にベルトを掛けて首を伸ばす機械からだった。
ヘルメットのあご紐だけのようなものを頭部…耳から下と言えばいいかアゴと言えばいいか、その辺りに装着し、機械で首を引っ張る。
看護師に「痛くないか」「きつくなく丁度良いぐらいが効果がある」と言われるが、初めてのことでどのぐらいか分からない。
ひとまずその時の設定でやっていくこととなった。
痛みは覚えなかったが、あの装着具合は私には不快だった。

次に電気治療、これを左手小指側の手首から肘までの延長線上で2箇所と、左膝に行うという。
これについても看護師が「痛くない程度がよい」「ピリピリするぐらいでよい」と言われたが、ここで問題が発生した。
電気を感じない。
電気が流れている感じ、ピリピリと言われるその感じが、まったくない。
看護師は首をひねりながら何度も電極パッドを確かめ、少しずつ出力を上げていく。
それでも電気を感じない。どんどん強くなっていく。
「痛い!!」
突然左腕に痛みが走った。看護師が慌てて電気を弱くする。しかし電気自体は感じていない。あるレベルから急に痛みが走り、下げると痛みが無くなる。その間、電気は感じていない。
何度か出力を上げ下げするが、やはり電気は感じずあるラインを超えると急に痛くなる、それだけだった。
電気を感じないのは私だけらしく、しかしながら私は今まで電気治療を受けた経験が無く、正直何がなんだか分からない状態だった。
とりあえず痛くなる直前の強さで電気を掛けられることとなる。

そして最後にマッサージの先生によるマッサージ。もみ始めてすぐに先生が言う。
マッサージ「ずいぶん固まってるね…これは時間が掛かりそうだ…何があったの?」
私「交通事故です」
マッサージ「だいぶほっとかれたか?」
私「日赤では軽症だからの一点張りで話も聞いてくれませんでした」
マッサージ「そうか…まぁ無理しない範囲で動かして、徐々にほぐしていこう」
私「無理しない方がいいんですか?」
マッサージ「そうだね、無理しても良くはならないからね」
私「そうなんですか…」
日赤では無理してでも動かした方が良いみたいに言われていたが、ここでは違うと言っている。

正直、これほど対応が違うとは思わなかった。そもそも病院を信用していなかったのもあるが、ここまで対応に落差があるとは…救急車で八戸赤十字病院に運ばれたのが無駄だったのではないかと思うほどだ。

こうして事故から3週間が経ち、ようやく私は事故の治療を受け始めることが出来た。

新しい病院での診察

教職員共済から「手続きが終わった」との連絡があり、新しい病院に行ってみた。
八戸中心街に含まれる地域にあるその整形外科。中には入ったことはないが、子供の頃に近くの小児科に何度も行っていたためその存在は知っていた。

駐車場の広さは20台ほど。混雑時には満車で停められないかもしれないが、その時は近くの有料駐車場のお世話になろう。

中に入ると、わりと多くのスリッパと靴置きスペースがあった。紫外線殺菌のケースもある。いい感じだ。

受け付きに行き話をする。大きな水槽をマジマジと観察する間もなく、すぐに看護師さんが来て用紙に症状を書くことになった。
そしてレントゲン…事故直後よりもだいぶ硬直して動かなくなってしまった体でなんとか指示された体勢になろうとするが、痛みが酷くてうまくいかない。
病院を信用していない私の頭に一瞬不安がよぎったが、ここの看護師は「無理しなくていい」と言ってくれた。そして出来る範囲、私に無理がない体勢でレントゲン写真を撮ってくれた。今思えば当たり前のように思えるが、これまでの八戸赤十字病院での対応が頭にあったため、その時の対応をとても嬉しく思ったことを覚えている。

レントゲン撮影が終わり廊下の長椅子で待つ。すぐに診察室によばれる。

医師「交通事故に遭ったんだって?たいへんだったね。今はどこがつらいのかな?」
私「事故当日は右腕と首の後と右側が痛かったんですが、翌日になったら左腕と左肩、首の左側の方が痛みだして、左手の指、特に小指と薬指の半分が肘に掛けて痺れていてうまく動きません。左手にも力が入りません。あと左わき腹にも痛みがあります」
医師「なるほど…あとは?」
私「首が回らなくなってきて、左腕の動きも狭くなってきて、あと左膝に力が入らずストンと抜けて転んだり…これって交通事故とは関係ないんですか?」
医師「そうだね…」
医師はレントゲンを見つめた後、私に触診を始め関節の可動範囲を確かめているようだった。
医師「まず小指の痺れだけれども、頚椎の7番に問題があると出る症状なんだよね。でもレントゲンを見る限りでは骨折やヘルニアなどの異常はない」
私「それは関係ないってことですか…?」
医師「いや、レントゲンに写ってないだけでヘルニアであることもある。たまたま角度でレントゲンには写ってないとかね。でも何らかの異常があるから痺れとか出ているわけだし、左腕もだいぶ硬直して固まっちゃっているので後遺症と考えるべきだよね…しかし酷いな…事故からろくな治療を受けてなかったのかな…」
私「日赤で何度説明しても1番軽症だからと言って診てもらえませんでした」
医師「それは酷いな…すぐに治療を始めていればね…あと気になるのは、ほらレントゲンのココやココを見てみて」
首と背中の骨を指してなぞる。
医師「これね、真っ直ぐ過ぎるんだよ。首も背骨も緩やかにS字になってるものなんだけど、これは明らかに真っ直ぐ過ぎる、余裕がない。ストレートネックとか言うんだけど、これまでそんなこと言われたことあるかな?事故前から首痛かったとか」
私「いえ、言われたこともないですし、首が痛いこともまるでなかったです」
医師「だとすると明らかに事故の影響でこうなっているのだと思います。あと首の後ろに白くモヤっとしている影、見えるかな?」
私「あぁ…なんかありますね」
医師「首の後ろに骨が出来始めてるね」
私「骨ですか?」
医師「そう、骨なんだよこれ。あと左脇腹は原因が分からないけれど、事故後に出てきたのでこれも事故起因の神経痛だと思います」
私「神経痛ですか…」
医師「膝は筋力が落ちてる可能性もあるので、その方向でのリハビリをお薦めします」
私「私の痛みや苦しみは事故の後遺症なんですか?」
医師「そうだね。そう考えるのが自然だね。日赤の医師が何故気が付かなかったのか分からないけれど、これは明らかに後遺症。事故直後だけでなく、後から出てくる症状もあるからね」

事故から約3週間、私はようやく自身の不調が交通事故による後遺症だと認めてもらうことが出来た。
医師から嘘付き呼ばわりされずに済んだ。

病院探し

新しく通う病院を自力で探すことになったが、私には不安があった。
今回の交通事故以外でも、医師に嘘つき呼ばわりされた経験があるからだ。

1つは学生時代、胸の下の方、中央から少しだけ左よりで肋骨がなくなる辺りに酷い痛みを感じ始めた。そこで私は女親と個人病院に行った。一人で行きたかったが「一緒にいかないなら保険証も金も渡さない」と言われたので仕方なくだ。
女親が決めた病院(胃腸科内科)に行くと、何故か女親だけが先に診察室に呼ばれ私は廊下で待つように指示される。そして入れ替わりで私が呼ばれた。
中に入ると医師が
医師「どうしましたか?」
と聞いてきた。先に呼ばれた女親は何も話さなかったのだろうか?、と思いつつも
私「胃かどこか分からないけどすごく痛いんです」
と答える。
医師「じゃあ痛い場所を指差してくれるかな?」
そう言われて痛む場所を指差す。すると
医師「はい、そこに胃はないから。仮病だね。おとなしく学校に行きなさい」
と言われて、その後なにを言ってもダメ、何ひとつ聞いてもらえずに診察室を追い出された。
その箇所は今でも痛み続けており時には激しく痛みを発するわけだが、体を動かすことには影響無いので諦めて放置している。

もう1つは20代の頃、八戸赤十字病院でのことだ。
後に精巣上体炎との病名を告げられる病気に関して、入院したての頃に医師から何度も
医師「パートナーは?いるよね?」
「別に恥ずかしいことじゃないよ」
「いろんな形があるからね」
「相手が男でも女でも恥ずかしくないんだよ」

としつこく聞かれた。しかし私はその当時そういう相手はいなかったので
私「いませんよ」
と答えるのだが、それでも同じ質問を繰り返す。
同じ症状で今から数年前にも入院したが(その時は青森労災病院で病名は会陰皮下嚢腫)、そこでは一度だけさらりと
医師「パートナーとかいるの?」
と聞かれただけだった。
どちらでも膿が溜った原因は不明で(検査の結果、細菌など含めて原因物質や理由等が見つからなかったらしい)、日赤ではその原因を同性愛の性行為に伴うなんらかの外傷等に求めたかったのだろう、そう思っている。経験上ストレスで膿が溜まる体質なんだけどね…口内にも耳のある箇所とかでも指先とかにも溜まるんだけだ、日赤では「そんなことありえない」と決めつけるし、それが私には嘘つきと言われているように感じられたのだ。

だから正直、病院も医師も信用できない。
子供の時分には医師に丁寧に対応してもらった記憶があるが、それはそこの医師の子供と同級生だったからだと思っている。おまけにその医師等はうちの祖父(理容師)の客だったし。
だからそれ以外の医師はこちらの話などには耳も貸さずに勝手に病気を決めつける。経験則からくるそういう考えが私の頭の中を埋め尽くしていた。
だから新しい病院でもまた嘘つき呼ばわりされるのではないかと、不安で不安でたまらない。

だから医師には期待せず、自分の条件だけで病院を選ぶことにした。

今の状態からすると、近い将来、運転が出来なくなる可能性は否めない。
だからなんとか歩いていける範囲であることが第一条件。
あとはせめて私が少しでも行きたくなる要因が何か欲しい。

病院探しはネットで行った。
ネットでは検索ではなく、まずは八戸には元々存在していた「びょういんチャンネル(http://www.hachinohe.jp/byouinch/)」を利用した。うろ覚えではあるが、たしか最初は個人で運営していて、後に八戸JP(http://www.hachinohe.jp)に吸収された形の八戸の病院リンク集だ。八戸での病院探しでは一番役に立つサービスだ。

家から歩いていける距離の近くの整形外科のページをいくつか見ていて、ある病院のページで目が止まった。

「駐車場あり」「熱帯魚の水槽あり」

歩いて行ける距離で、車でも行ける。どちらでも通院可能であればとてもありがたい。
しかも熱帯魚の水槽がある。3歳から魚を飼っていた私には向いているのかも知れない(現実逃避的に)。

こうして私は「また嘘つき呼ばわりされるのではないか」と言う不安に怯えながら、この病院に通院したい旨を教職員共済に伝えた。
今より少しでもマシになる可能性を信じて…。

新しい病院選ぶことに…

3月17日の交通事故で八戸赤十字病院に運ばれて以来、私は医師に一番の軽症と言われ続けて事故翌日から現れている症状も否定され、ろくに治療も検査もしてもらえないままでいた。ただただその状況に耐えていた。
今思えば違う病院に行けば良かったのだろうが、当時の私はおそらく心身共にだけでなく、頭の回転まで衰えていたのではないかと今では思っている。想像以上のダメージを負っていたのかもしれない。

症状はまず痛いのだ。
とにかく痛いのだ。

痛みが酷すぎて食事もトイレも不自由。何かを手にするにも動きに制限があり、歩くにも辛い。
左腕はさらに動かなくなり痺れが広がり痛みが増し、肘は90度どころか45度も曲がらない。なぜか真っ直ぐに伸ばすのも辛くて、自然に30度ほど曲げた状態になる。そしてひねるのが難しい。左ではドアノブをまわせない。そもそも握力もだいぶ弱くなっており、ドアノブを掴めないこともある。
小指と薬指の半分(真ん中から線でもひいたように小指よりの半分)が肘の上まで強く痺れている。左腕全体の痺れはそこから広がっているようにも感じる。
いきなり左腕が何も感じず動かなくなることがある。痛みとかどころか感覚すべてが無くなり、左腕の存在が分からなくなるのだ。目で見ないと生えているのかも不安になるほど、痛みも何もかも感覚がなくなる…力を込めるとかそういうことが、意識からも抜け落ちる…本当に私の中から左腕がいなくなる…痛みも痺れさえも無くなり、本当に腕が無くなっているように感じるのだ。

首の左側と左肩、左脇腹は激痛があり、深く息が吸えない。首は左にはまったく回らず、右にも30度ほど回すのがやっと。上下にもほとんど動かせない。あと時々左膝が抜ける症状(力が入らなくなり自分で動かせなくなる)も出てきた。
茶碗を持ってもすぐ落とす、500mLのペットボトルも左では持てない、蓋もあけられない。ドアノブも左では回せず、運転中にいきなり左腕が動かなくなっていて、しかもそれにも何も気付かずハンドル丸回そうとして歩道に突っ込みそうになる。階段で左膝がいきなり抜けて階段を落ちる。例を上げたらきりが無い。

このままではもう何もかも出来なくなるのではないかという不安の中、教職員共済から電話があった。

教職員共済「おかげんはいかがですか?」
私「もうダメです…診察はしてもらえない、軽症と言われるばかり、でも痛みが酷くて動けなくなって…どうすればいいですか?」
教職員共済「あぁ…そうですか…でもなんで違う病院行かないんですか?」
私「違う病院?」
教職員共済「はい、そうです。違う病院で診てもらわないんですか?」
私「違う病院で観てもらう…そんなことしてもいいんですか?」
教職員共済「もちろんです」
私「なんでそれを早く言ってくれなかったんですか?」
教職員共済「え…いや…知ってると思って…」
私「あなたは何度も交通事故に関わっていて詳しいから知ってるでしょうけど、こちらは初めて事故に遭ったんですよ?交通事故とかわざわざ知ろうとする趣味もないし、それで分かってるとなぜ思うんですか?」
教職員共済「いや…すみません…分かっていると思って…」
私「そもそも何も説明してくれませんでしたよね?」
教職員共済「いや、それはその時その時で必要な事をお伝えしようと思いまして…」
私「事故に遭って体悪くしている今はその時ではないんですか?」
教職員共済「はい…ですから今、違う病院をと…」
私「最初にどうして言ってくれなかったんですか?もう事故から2週間以上経っていて、まともに相手もしてもらえず治療もしてもらえずに…」
教職員共済「分かりました。新しい病院に行きましょう。私の方で探してもよろしいですか?」
私「…いえ、自分で探したいです」
教職員共済「分かりました…では決まったら連絡してくださいますか?こちらから話を通せば支払いは全てこちらに来るようにできますから」

このようなやり取りで、私は新しい病院を探すことになった。
事故から2週間以上経ち、4月となっていた。

車をどうするか、ふたたび

ある日突然事故に遭い、運ばれた八戸赤十字病院ではちゃんと診てもらえず、仕事ができない体となり、これからの見通しがまるで立たなくなった。
しかし事故に遭った車の支払いはまだこれからだ。

事故に遭った車はスズキのパレット、その年の1月に販売開始されたばかりの車で、私は真ん中のグレード…Xかな?を購入していた。
フルタイム4WDのターボ車で、片側電動スライドドア。色はアズールグレー。祖父母を病院に連れて行く際に病院前に横付けしてもドアを開けやすいスライドドア、さらに運転席からでも開閉出来る電動スライドドアを選択した形です。
3月の初めの方に納車され、約半月で事故に遭い、これからどうするか…

修理して乗り続けることはもう諦めていた。これから仕事が出来る、出来ないに関わらず、次の車検が通る保証がない無理矢理な修理で3年後の車検時に手放す可能性があることはキツイと考えたのだ。

実家の方からは「同じ車を買え」と言われている。パレットだと祖父や祖母が自力で乗り込めない場合でも、抱えて乗り込めるほどスライドドアが大きく開き、車内も天井が高く広いため介助する側、される側、共に楽だと考えたからだろう。

ディーラーからは「同じ色だとかなり時間が掛かりますが、シルバーなら仮押さえ出来てるので1か月後には納車出来ます」と言われている。

教職員共済からは「とにかく早く決めて欲しい」と、そればかりだ。

私としては金銭的負担を軽くするためワゴンRの低い方のグレードにしたいのだが(10万円以上は軽く違う)、どうも周りはパレット推しが多いようで…たしかに祖父母の通院には便利だろうけど…私の事情で言えばなんなら体が動けるようになるまで車なしでもいいぐらいなのだが…
実家では「もし支払がきびしくなってもこちらで出してやる」とまで言ってくる…祖父母の介護は全て実家が引き受ける、という話はどうなったのだろう…祖父母の通院は何故私まかせにしようとするのだろう…

ひとまずこの時点で、パレットかワゴンRの二択にはなっていた。買っても運転できるか怪しいのだが…代車の運転もかなり危なっかしいし…めまいに吐き気、車幅感覚が戻ってこない状態の運転でだいぶゆっくり走っているのだが…

残る問題は、何処にお金を当てるか、だ。

教職員共済や実家は、廃車にする車の支払いを続けて、買い直す方を教職員共済からの支払いで済ますことを勧めてくる。
私には事故に遭った車両を教職員共済に精算してもらった後に、新たに自ら車を購入する方がシンプルで後腐れがないと思えるのだが…私の感覚がおかしいのだろうか?

でもやはり、八戸赤十字病院にて嘘つき扱いされ診察も検査もしてもらえないことが私の頭から離れない…いや、毎日毎日、いつでも体が不自由だから、治療をどうすればいいのかと、そればかりが頭を埋め尽くす。

正直、もう車など要らないという気持ちが1番強かった。

八戸赤十字病院へ

たったの1時間も働けなかった夜勤が終わった後、派遣会社への連絡を終えた私はその足で八戸赤十字病院に向かった。
今でこそ左手抜きでの運転にも慣れているが、その時はまだ右手だけでハンドルを回すことにも慣れず、停車後に右手でシフトチェンジすることも難しく、とても時間が掛かったことを覚えています。

病院内に入り受付を済ませると、毎度の如くにまたしばらく待たされる。
10時を過ぎ、「また11時を過ぎるんだろうな」と覚悟した辺りで、私は診察室に呼ばれた。

医師「はい、こんにちは。今日は何かな?」
私「昨日仕事行ったんですが、やはり無理でした。1時間と経たずに左腕が動かなくなり痛みにも耐えられず、何もできませんでした」
医師「…君さ、1番軽症なんだよ?なんでそんなこと言うのかな?」
私「なんでって…実際そうだからで…」
医師「前にも言ったけど、あの事故で君が1番軽症なんだよ。隣の車の子供は骨折してるし、他の人も君より重傷なのに、なんでそんなこと言うのかな?」
私「私はただ事実を言ってるだけで…」
医師「他の人に申し訳ないと思わないわけ?」
私「そんなこと言われても実際左腕は動かない、首も痛すぎて普段の生活も辛いんです」
医師「でもね、レントゲンにも異常はなかったんだよ」
私「あの時の医師は『専門じゃないので翌日詳しく診てもらいにきて』と言ってました。でも診てくれないじゃないですか?」
医師「レントゲン診れば分かるんだよ。君が1番軽症なのは。それに事故当日は左はなんともなかったじゃない」
私「だからその後におかしくなって、原因も事故以外に思い当たらないし、だから診て欲しいって…」
医師「分かった分かった、じゃあ注射しよう」
私「…注射ですか?」
医師「注射すれば楽になるから」
私「その前に検査とかしてもらいたいんですけど…」
医師「だからね、レントゲンに異常が無いんだから何もないわけだ。それでも辛いと言うから注射してあげるって言ってるてしょう」
私「…何の注射ですか?」
医師「とにかく駐車すれば楽になるから、他に異常はないんだし大丈夫だよ」
私「でも私の体は…」
医師「いいからまず注射受けなさい。悪くなることは無いんだから」
私「…それでも良くならなかったら診察してもらえますか?」
医師「レントゲンに写らないんだから診ようが無いよね?」
私「…じゃあどうすればいいんですか」
医師「まずは注射して安静にしよう。異常はないんだからそれでよくなるはずだから」
私「…」

この日も結局、検査などは行われなかった。
他の患者がMRIなどで診てもらえたのは私より重症だからで、それより軽症な私はMRIなど受けさせないと、そういうことのようだ。
私は検査を行い、その結果などから判断してから重症か軽症か診断するものだと思っていたが、医師の話から察するにそれは素人考えというものらしい。
仕方なく注射を受け帰宅する。

帰宅後、体に異常が起きた。注射から1時間ぐらい経った頃だ。
息が苦しく熱っぽくなる。首や左腕などの痛みが激しくなり痺れも強くなり、それらがまるで動かなくなる。
息苦しさと熱っぽさは数日続き、それがやんだ時には首と左腕は更にひどくなっていた。痛みも痺れも強くなり、前よりひどくなっているのは明らかなった。
でも私はもう、八戸赤十字病院を信じることができなくなっていた。
この日を最後に、私は八戸赤十字病院には行かなくなった。もう嘘つき呼ばわりされるのに耐えられなかった。

出社後のこと

事故後の出勤でろくに仕事も出来ずに迷惑を掛けた私は、朝一で担当に電話を入れた。

私「すいませんやっぱりダメでした」
派遣会社「え?」
私「仕事を始めて1時間と経たずに左腕が使えなくなりました」
派遣会社「えー?なにそれ困るよ!大丈夫だと言ったよね!?!?」
私「いえ、私は不安があると、腕がもたないかもしれないと、言いましたけど…」
派遣会社「でも医者は大丈夫って言ったんでしょ?」
私「ですから私はそれがおかしいのではないかと、私が医師に伝えたことを言いましたよね?」
派遣会社「いやでも君が大丈夫って言うから…」
私「…いえ、私からは大丈夫とは言っていません」
派遣会社「言い訳はいいから…それでどうすんの?」
私「とりあえず病院に行って診てもらいます」
派遣会社「そうだね、診察終わったら連絡頂戴」
私「あとそれで…仕事は無理だと思うんです」
派遣会社「いや、それは君が決めることじゃないでしょ、あくまで医師の判断で決めることで…」
私「今回医師の判断で仕事再開しようとして、結局は私が感じていたような結果になったんですよ」
派遣会社「そんなこと言われてもさ…」
私「実際苦しんでいるのは私なんですよ!分かります!?医師にも嘘つき呼ばわりされて、でも実際左腕が不自由で…トイレさえ大変なのに…」
派遣会社「分かった、分かったから、とにかく病院行ってきて、終わったら連絡して」
私「分かりましたけど…仕事は無理だと私は考えていて、迷惑掛けるので辞めたいと思っているんですよ」
派遣会社「いや、それはね、病院行けば良くなるかもしれないし、なんとか待ってくれるように話すから」
私「今日なんてほとんど製品作れなくて、材料無駄にして、ただただ朝まで痛みに耐えるだけで、出来るわけないでしょ?」
派遣会社「分かった、君が辛いのは分かったから、まずは病院行こう。辞めるかどうかはその後考えよう。いいよね?」
私「とてもまともじゃなくって…迷惑掛けたくないんですよ…」

このような話をして電話を切った。

派遣会社の担当は結局この後も、一度も事故の状況を聞いてくることはなかった。
ただ「働けないの?」「とうして働かないの?」の繰り返しで、その度に同じ説明を繰り返した。

もっと若い頃に大手の派遣会社にお世話になったことがあるが、このような扱いを受けたことはなかった。こちらの事情にも耳を傾けてくれて仕事が出来ていた。
それに比べて…地元No.1を自称していてもこんなもんなんだな、この会社は派遣社員を人としてあつかわず物のように考えているんだな、と落胆したのを覚えている。

事故後の初出社

事故後の初出社はいろんな意味でストレスだった。
派遣会社からは事故の説明を禁じられている。
でも派遣先ではおそらく、事故について聞かれないはずがない。
そもそも私の体がおかしいことを伝えねば、何かあったときに大問題となるのは目に見えている。

会社に到着すると上の人が待ち構えていた。
事故の状況や体のことを聞かれ、私は正直に話す道を選んだ。
こちらに過失がないこと、車は廃車になる可能性が濃厚であること、体に異常があるが医者には問題ないと言われたこと、包み隠さずに話した。
上の人は私の話をを信用してくれ、
「もし途中で具合が悪くなったりしたら、遠慮せずにすぐに作業をやめて休憩していいから」
と言ってくれた。ありがたい話だ。

現場に入ると、そこの上司が待ち構えていた。
何か言われるかと思ったが(普段からいろいろと指摘されていたので)、あまりこまごましたことは言わずに細かい注文もせずに、ケガの無いようにと言ってきた。
そして工場内は私一人になった。

私の仕事はマシン金属加工のオペレーター、のような仕事だ。夜8時から朝8時までラインを動かし、製品を作り続けるのが私の役割。その間、工場にいるのは私一人となる。

夜8時に私の仕事開始後、すぐに正社員は帰宅し一人となる。
首と左腕の痛み、不自由さはあるものの、最初の内はなんとか仕事をこなしていた。
しかし30分ほど経過した時、突然それは起こった。
左腕が動かない…指先も痺れが強まりうまく材料を掴めない…
右手でフォローしようとするが間に合わず、機械の中に材料を落としてしまう。
機械の停止を確認した後になんとか右手で拾い出すが、表面に傷が付き、もう製品にはならない。
再度材料をセットしようと試みるも、右手だけでは上手くはめられず落としかける。
悔しいがその機械での作業は断念し、小物の製品に注力しようとした。
しかしそちらでも不良品を出してしまう。片手で治具に押さえ付けながら固定具で止めるのだが、それが上手くできない。
動かない左手を肩を押し込む形で押さえてるが動かない左腕に集中しているものの固定する時に動いてしまい、製品の穴の位置がズレてしまう。
それを繰り返している内に痛みと痺れ耐えきれないほどになり、9時前には作業できなくなった。

今思えば不思議だが、あの時の私には夜間の緊急連絡先が知らされていなかった。これまでにも機械の不具合で朝5時近くに作業できることがなくなり、そのまま朝8時まで待つしかなかったこともあった。
派遣先がそうだし、派遣会社の担当に至っては午後8時どころかその前には電話受けてもらえないのが分かっているので、家に帰るわけにもいかず、ただただ朝の8時まで待機しなくてはならない。
痛いし辛いし苦しいし悔しいし、そればかりを繰り返し思って朝までただ耐えていた。

8時が近付き社員が出社し始める。
状況を伝えて謝罪する。
特に咎められることもなく「仕方ないよ」と慰めの言葉をいただく…情けない…。

こうして私のこの会社での仕事は終わった。

派遣会社への連絡

八戸赤十字病院で診察した医師の言葉を受け、その日のうちに会社に連絡した。
当時私は地元の派遣会社に所属し、市内の工業団地にある金属加工会社内で仕事をしていたため、派遣会社に連絡をする形となった。

私「医師から仕事をしても構わないと言われました」
派遣会社「そうか、よかった。代わりの人も見つからないし先方も困り果ててたんだよ」
私「それはすみませんでした…」
派遣会社「そもそもなんで事故なんか起こすかな?」
私「はい?…いやいや、私は事故なんて起こしてませんよ」
派遣会社「でも運転中だったんでしょ?」
私「たしかに車には乗っていましたけど、車は止まっていてこちらの過失はゼロだよと警察官からは言われてますよ」
派遣会社「そうは言ってもプライベートて事故やって休むとか、印象悪いからね、こっちも困るんだから気をつけてよ」
私「そうは言われても…止まっていた車に後ろから追突されたらどうしようもないですよね?」
派遣会社「僕なら前に動いてぶつからないな」
私「いやいや、後ろの車を弾き飛ばして追突してきて前の車に玉突きしてるので、逃げ場所もなかったんですよ」
派遣会社「とにかく派遣先に迷惑掛けてるんだから、とにかく謝って明日からお願いしますよ」
私「はぁ…とりあえずがんばってみますけど…」
派遣会社「なに?なんか歯切れ悪いけど?」
私「医師は何ともないと言うんですが、私は痛くて左腕がうまく動かないんですよ」
派遣会社「でも医者はゴーサイン出したんでしょう?」
私「そうてすけど、こちらが言っても『体を動かさないからそうなんだ』の一点張りで、まともに診てもくれないんですよ…」
派遣会社「だから平気だからそうなんでしょ?僕も同じ意見だけどね。だって当日自分で電話してきたじゃない」
私「それはまずは連絡しなくてはと思ったからで、電話掛けることは出来たからしたってだけで…」
派遣会社「とにかく、先方に迷惑掛けてるんだから、明日行ったらまず謝って、あとは余計なことを言わないようにね」
私「…余計なことってなんですか?」
派遣会社「体が痛いとかそういうことだよ」
私「でも実際痛いとか動かせないとかは言わないと現場でまずいと思いますが…」
派遣会社「医者が仕事をして大丈夫と言ったんでしょ?素人考えで余計なこと言わないでってこと」
私「…」
派遣会社「とにかく先方には明日から通常勤務に戻れるって伝えておくから、よろしくね」
私「いや、それはやってみないと分からないので、その辺りも話してはもらえませんか?」
派遣会社「…先方にどれだけ迷惑掛けたと思ってるの?社員の方々が君のフォローで残業してるんだよ?」
私「それは申し訳ないと思いますが、私が事故を起こしたわけしゃないので…」
派遣会社「そこにいた君にも責任はあるんだから、とにかく明日遅れずに行って謝って、余計なこと言わずに仕事をして下さい」
私「…善処はします…」
派遣会社「よろしくお願いしますよ」

このような会話で話は終わった。
事故後にはこれまても数回電話していたが、何度説明しても私が事故を起こして言い訳していると決めつけているようで、毎回このような感じで言われていた。
立場が立場だというのは分かるのだが、私はただ信号待ちをしていただけで事故に巻き込まれ、それが何故私が事故を起こしたようにされるのかがどうしても納得いかなかった。

動きの悪い左腕のまま、首にも激痛を抱えたまま、明日から仕事に戻る。
どうか医師の言うように、単に体が鈍っているだけであるようにと、私は願っていた。

再度の診察

事故翌日の診察から1週間、再度診察に八戸赤十字病院に訪れた。
今回も長い時間待たされたが、それでも前回よりはいくらか早く10時過ぎに診察室に呼ばれた。

医師「1週間経ちましたがどうですかな?」
私「やはり左の方…首、肩、腕が痛いんです。1週間前よりも痺れも増して動きも…」
医師「だからそれ、関係ないから」
私「でも事故後にこうなって、左腕の痺れも小指側から肘まで朝から晩までずっとあるし、腕も上がらずうまく動かせないんです」
医師「でも事故直後には言わなかったよね?あの時痛かったの右の首だけだよね?」
私「それはそうですけど…その時にはそうだったんですから…それがその後に痛くなっておかしくなって、事故の以前には一度もそんなことはなかったんで事故のせいとしか思えないんですが…」
医師「君さ…あの事故で一番軽症なのになんでそんなこと言うのかな?隣の車に乗っていた子供なんてね、骨折したんだよ、骨折。一番軽症なのにそんなこと言って、その子にかわいそうじゃないの?」
私「…でも左が私は痛いし動く範囲も狭くなってるし、全部事故後になったんですよ?」
医師「だから軽症なのにそんなこと言って、他の患者がかわいそうじゃないんですか!?」
私「…ても痛いんです…」
医師「それは事故後に体を動かさずにいたから体が鈍っているだけだからね」
私「…」
医師「とにかく明日から仕事行ってみてください。最初は痛かったりするかもしれないけれど、少しぐらい辛くても体が動かせばすぐに元に戻るから」
私「痛くても無理してでも動かした方がいいんですか?」
医師「君の場合は軽症だからね」
私「…分かりました…」

こうして事故翌日から1週間後の診察が終わった。問診だけで、その問診も私の言葉は全て否定され続けて…。

私は医療のプロではない。
そして交通事故やその後遺症などに明るいわけでもない。
だからその時、医師の言葉に不安を覚えつつも信じてしまった。その通りなのかも知れないと期待してしまった。