事故翌日の診察 その1

事故の翌日、再び八戸赤十字病院へと向かっていた。昨日救急車に運ばれた際に当直医から「私は(外科が)専門ではないので明日専門医に診てもらってください」と言われていたためだ。
午前9時過ぎに病院に到着、前日に言われたとおりに受付へと行く。
すると受付で驚くべきことを言われた。

受付「形成外科に行ってください」
私「形成外科ですか?整形外科ではなくって?」
受付「はい、形成外科に行って待っていてください」
私「整形ではなく?」
受付「形成でお待ち下さい」

何度も確認したので『形成に行け』と言われたのは間違いなく、どういう理由かは分からないが、私は整形外科ではなく形成外科で診断されるようだ

八戸赤十字病院の形成外科待合でしばらく待った後、形成外科の受付に呼び出された。

形成外科受付「あなた、何でこんなところにきたの?」
私「受付でそう言われたので」
形成外科受付「そんなこと言うわけ無いでしょ、整形の聞き間違いです」
私「いやそうじゃなくって、何度も確認したけどそれでも『形成に行け』と言うので…」
形成外科受付「いいから整形に行きなさい」

受付で何度も確認したのに『形成だ』と念押しされたので形成外科待合で待っていただけなのに、なぜそのように責められなければならないのだろう…釈然としないまま整形外科待合に移動する。

整形外科の待合にて、昨日一緒に運ばれた被害者と再会した。

他の被害者「(診断は)もう終わったの?」
私「受付から形成に回されだけど追い返されて整形に来たばかり、まだ診てもらってない」
他の被害者「じゃあ頭とかもまだ診てもらってないんだね?」
私「頭も何も、『形成外科に行け」と言われて待ってたら『そんなこと言うわけない』って言われて来たばかりなのでなんにも…」
他の被害者「そうか…頭とかも診てもらうように言った方がいいよ」

私はその言葉にうなずいた。医師に言わなければ対応してもらえないという意味なのだろう。

事故当日の診察

八戸赤十字病院に搬送されたのは私を含めて3名だった。
順にレントゲンを撮ることとなったのだが、私はかなり長い時間長椅子で待たされた。そう感じただけなのかも知れないが、吐き気があるとも伝えてあるし、なぜ後回しにされたのだろうか?と今でも疑問に思う。
とにかく順番が来るまで、ただただ痛みに耐えるしかなかった。
レントゲンを待つ間に看護師から質問をされ、体温計を渡される。しばらくしてレントゲン撮影に呼ばれた。
レントゲン撮影を終えると、当直の医師の元へと通される。

医師に向かって痛い箇所や今までの症状を告げる。
いきなり衝撃があり、気がついたらシートが壊れて天井を向いていたこと。
首と右腕に酷い痛みがあり、救急車で運ばれる途中で吐き気を覚えたこと。

医師からレントゲン写真の説明を受ける、「見たところ異常はない」とのことだった。
しかしその医師は外科は専門ではないとのことで、「交通事故は後日症状が出ることもよくあるから、必ず明日、外科に診てもらいに来てくれ」とのことだった。また、「急に具合が悪くなったらいつでもすぐに病院に来い」とも。

そして用心のためにと首にコルセットを巻かれた。正直苦しかったが、「これをしていれば何かあっても首にはダメージがいかない」という説明を受け、嫌々ながらも装着した。

診察を終えると加害者から謝罪を受けた。
彼は「車も身体も、もちろんこちらで全て支払ますので」と言い頭を下げた。
職業を聞くと公務員、それも教師ということだったので、その時の私は愚かにも彼の言葉を信用した。
地方では公務員は高給取りであり、また社会的にも責任がある教師という立場からもちゃんと保証してくれるだろう、と思ったのだ。それには、もし仮に保険でカバー出来ない場合でも、きっと本人が何とかしてくれるだろう、という考えも含まれていた。
またこの時点では私の過失はまだ確定していなかったが、私の車は完全に停止していることからこちらに過失はない事故だと思っており、向こうが保証してくれるのは当然に思えた。

そうこうしていると、今度は警察官に声を掛けられ事情を聞かれた。
そこで、加害者からはまた後で連絡をもらうということにした。

警察官には事故当時のことを聞かれる。
信号待ちをして停車していたら衝撃を感じ、気がついたら追突されていたことを話す。
警察官は「完全に停止していたか?」「前の車との車間距離は?」などと聞かれる。
私は「完全に停止していた」「前の車との詳細な距離は分からないが、普通に信号待ちをする時ぐらいの距離だ」とありのままを答えた。

事情聴取らしきものを受け、それを受けたという署名などを済ませると、「君の車がまだ現場にいるから、何とかしてもらえないか」と言われた。

この時まで、私は車のことなどまるで頭になかった。猛烈な痛みと具合の悪さでそれどころではなかったからだ。
急ぎパレットを購入したスズキのお店に電話する、事情を説明しレッカーを出してもらい、自分の任意保険にも連絡をしてもらった。

それが終わり実家に迎えに来てもらうように電話していると、加害者がまた声を掛けてきた。
しきりに謝る彼をかわいそうと思ったわけではないが…あの車は年老いた祖父母の通院にも役立つようにと選んだ車であり、「祖父母が乗っている時でなくてよかった」という思いもあった私は、それほど責める気にはなれなかった。

いや、違う。

その時はまだ、「私は不幸にも事故にあったが、車も相手側が全額なんとかしてくれるようだし、身体も元に戻るし、仕事にもすぐに戻れる」と考えていたのだ。
被害者側はけして取り戻せない大きな傷を与えられ被害者の方が加害者よりも大きな負担を、罪もないのにずっと強いられるのだと、気付いていなかったのだ。
交通事故とは加害者が得をし、被害者がバカを見るものだと、知らなかったのだ。

私の苦しみは増していく…

救急車到着、病院へ

最初にパトカーが到着したのは事故が起こった車線とは反対側だった、と記憶している。
事故現場は国道のT字路交差点の近くで中央分離帯もあり、通過した1つ前の交差点からも300m以上…そこを埋め尽くすように車が並んで渋滞が発生していた。逆走せずに現場に近づくにはそれしか無かったのだと思う。

警官がきて加害者や被害者に事情を聞く…もちろん私にも。
私は「信号待ちで停止していたら突然衝撃があった」と答える。
前の車に追突したか聞かれたが「分からない」と答える、事実、衝突したかどうかの記憶がないのだ。ヘコんでいるのだから追突していないはずはないのだが、私にはその記憶がない。
そしてこの状況はどうなっているのかを警官に聞くと、6台玉突き事故だと教えられた。

すぐに救急車がくると言われ、車中の荷物を取りだす。仕事に行く時に必要なものと郵便局の不在通知を手に取り、ついでに眼鏡も探してみる。やはり見つからない。他にも見つからないモノが1つ2つある。
仕方がないので車から出ようとした時に、運転席のシートが倒れたままであることが気になった。
何気なく戻そうとレバーを操作するが戻ってこない。手で背もたれを起こしてもまた後ろへと倒れていく。繋ぎ目か何かが壊れているようだ。

少しして救急車が到着した。ただし、T字路の交差点を逆走する形で入ってきた。渋滞はまだまだ解消されてはいないのだからそれしかないのだろう。
負傷者は2台の救急車に分けられた。私と一緒に乗った2人の内、1人は私の後ろの車(加害車両により横に弾き飛ばされた車)のドライバーで、もう1人が例のパニックを起こしていた男、加害者だ。加害者であることは病院に着いてからも再確認したが、間違いないようだった。

この時、私は軽傷扱いだったらしいことを、後日警察官や医師などの発言から知ることとなる。なぜそのようになったのか理由はわからないが…

救急車はなかなか走り出さない…受け入れ先の病院が決まらないようだった。
しばらくして「日赤病院に向かう」と隊員の声がした。それに仕方なく頷いたのは、日赤病院(八戸赤十字病院)が地元ではあまり評判が良くない病院であり、加えて私自身がその病院で嫌な思いを2度していたからだ。
だがこの状況ではどうにも出来ない、とにかく首と腕が痛くて痛くてたまらない。とにかく少しでも早く楽にさせて欲しい。

救急車は動き出す。

車中、順番に心拍計(脈拍?)のようなものなどを付けられる。そして隊員が「具合が悪くなったら言って下さい」と声を掛けられる。特に吐き気などは必ず言うように、とのこと。
私は乗り込んだ時に酷い痛みがあっただけだったが、救急車が走り出すとすぐに具合が悪くなり隊員に告げた。
吐き気が酷い…目眩で座っているのも辛い…
隊員に「もうすぐ病院ですから」と励まされ、ただただ痛みと吐き気と目眩を我慢する。

救急車はようやく病院に到着した。

事故の瞬間 その2

事故直後、予備の眼鏡を掛けた私は周囲の車が全て止まっているのを目にした。正確には自分の前にいた車から止まっている。
運転席のドアを開ける…車体に違和感を覚える…右後ろのスライドドアが運転席ドアに被さるかのように前にズレており、運転席のドアはスレスレで開いていたのだ。
身体の痛みに耐えながらなんとか車から這いずり出す。
立ち上がり自分の車を見直す…やはり後ろのスライドドアが通常位置よりもはみ出している。車体自体が変形しているようで、車両後部には黒い車がめり込んでいる…この車が追突したのだと理解した。
右隣にいた車は中央分離帯にまで飛ばされたような状態でいる…この車にもぶつかったのだろうか?

酷い首の痛みに耐えながら、ひとまず歩道へと移動する。
一人の男が「どうしよう…どうしよう…」というようなことを言いながら焦っている、突っ込んだ車の持ち主だろうか?
その男に私は話しかけた、突っ込んできた車の持ち主かと。
男はそうだと言った。
私はなぜ事故が起きたんだ、と訊く。
男はパニックを起こしながらも「CDを入れ替えていて、気がついたら目の前に車がいた」とハッキリ答えた。そのことを再度確認したが、その通りで間違いがないと言う。
「どんなことをしても全て保証しますから…」と男は言った。その時の私は愚かにも、その言葉を鵜呑みにして信じてしまった…なぜだろう…頭が回らなかったのだろうか?

男から離れ自分の車を見る。黒い車がひどくめり込んでいるように見える。納車から半月であったが「廃車かな?」と頭によぎる。
ふと私の前の車に目をやると後ろがヘコんでいる…私の車のフロントにもヘコみがある…てことは玉突きしたのか?
私はシフトをPに入れてパーキングブレーキも掛けており、仮に衝突時の衝撃等でブレーキから足を放したとしても少しぐらいでは玉突きするとは思えなかったが…しかし車の位置的に私の車が押されて玉突きしたとしか考えられない…どれだけの衝撃があったのだろうか?

周りを見ると私の車と隣の車、そしてその前後一台ずつが被害を受けているように見えた。(後日、加害車両が後ろの2台を左右に弾き飛ばし、私と隣の車に追突し、それぞれが前の車に玉突きした、加害車両を含めて7台、6台玉突き事故だったと知った。)

黒い車からは油かなにか、液体が漏れだしている…その後ろには長い渋滞…
やがてパトカーが到着しだす。すでに誰かが通報していたのだろう…八戸警察署からは車で3分ほどだろうか…私は事故後すぐに車から這い出して加害者に話を聞いたつもりでいたが(3分も経っていなかった気がするが)、実際には思っていたよりも長い時間が経っていたのだろうか? そう言えば車から這い出た時にはすでに他の人は外にいた気がするが…私だけ気を失っていたってことだろうか?

私は強い痛みに耐えながら「とにかく連絡を入れなければ…」と思い、実家と職場に電話をした。救急車はまだこない。

これが2008年3月17日午後4時40分ごろに発生した事故直後の私が覚えている記憶だ。

事故の瞬間

その時、私は信号待ちをしていた。

場所はくら寿司八戸城下店がある場所の前の道路だが、当時はまだくら寿司がなく空き地であったことを覚えている。2008年3月17日、時刻は午後4時40分ごろ。
乗っていた車はスズキのパレット。
納車からまだ半月で初めてのオートマ車で慣れていなかったこともあり、パーキングブレーキをかけてシフトレバーも「P」に入れた上でブレーキを踏んでいた。信号が赤に変わったばかりでしばらく待つことが予想されたためだ。
前には何台も車が止まっている、10台はいただろうか
右手でハンドルを握っていたことを覚えている。

ふいに、ルームミラーの中で黒い物体が右に左によぎった。

気がつくと目が見えない、眼の前がぼんやりと真っ白…顔に触れると眼鏡が無くなっていた。
シートが倒れている、倒したはずはないのに(後日運転席のリクライニング金具が折れていると判明)
気は失っていなかったように思えた。しかし衝撃から今の体勢までの記憶がない。眼鏡が無くなって見えなかったのかも知れない…いや、それでも車が停止するまでのことを覚えていないのはおかしい。
わずかな時間だが気を失っていたのだと思う。

とにかく車を止めねばと思ってパーキングブレーキを踏もうとするが、すでに踏みこんである。自分で操作していたことを思い出す。
首と右肩、右腕に酷い痛みが走る。何とかハンドルを握り身体を起こす。
眼鏡を探すが見つからない、予備の眼鏡を掛けて辺りを見回す。
そこには酷い状況が広がっていた。