眠れず泣いた

昨日は2時頃に寝たふりをしたが眠れず、涙が溢れて泣いた。

4時過ぎまで泣いてた。止まらなかった。

もっと好きな人もいるのに、最初からたまに話が出来る関係に生るのは無理だと自分で言っていたのに、泣き続けた。

通勤中も泣いてた。仕事中も泣いてる。止まらない。

最初に『ヤバイ、この人のことを信じてしまう』と声を聞いただけで思っただけなのに、私が『長話なんて無理でしょ』と否定したのにあの人が「大丈夫、第八章まであっても全部聞くし、どうしても無理な時には治療無くても来てもいいし電話もしていい」というのをやはり信じてしまい、しかしそうならず、約束を守ってくれず、「仕方ないって分かってるでしょ」と言われ、でもただただ泣いてる。

だから最初から信じてる人はイヤなんだ。勝てない、恨めない、嫌いになれない、全部私が悪い。

そんな人はもういないでしょう…

1時間と少ししか体がもたなかった
首と背中が痛すぎて運転できなくなりかけて諦めた
来ないのは知っていた 最初の長話の時に私が無理でしょと言ったことは、いつのまにか私が無理じゃないと言っているかのようにすり替えられ、出来ないと分かっているでしょと言われた
くやしい
こんなにつらいのに声を聞けたこと  他など無駄でしかないのに 

たすけてくれないなら手を差し伸べないでほしかった

またきっと待つのだろう 来るわけないのに

リリカ→タリージェ→リリカ

リリカとタリージェ

昨年の11月頃から、交通事故の後遺症による神経の痛みを抑えるための薬をタリージェに切り替えていました。

これまでリリカという薬を飲んでいたのですが、外科の医師から

「タリージェという新しい薬がある。リリカよりも副作用が少なくよく効くという話もあるけれども、試してみるか?」

と言われ、試してみることにしました。年々痛みが増し、近頃は月に4回ぐらい神経ブロックの注射をしなければならないほどだったためです。

最初は5mgのタリージェから始まったのですが…タリージェに切り替えてからはどうにも痛みが激しくなり、とても辛かったです。
それでも10mgに切り替え、最終的には15mgになれば効き目も強くなるはずとの期待を胸に試していました。

しかし10mg、15mgと増えていき、これまでにない感覚に襲われます。

痛みが暴れ出した時の感覚がリリカと違うのです。

効いている時はリリカもタリージェそれほど変わりませんでした。痛みの存在自体は感じるのですが、動けないほどの痛みには襲われません。
しかし何かのキッカケで痛みが暴れだした時に、リリカとタリージェでは違うのです。

痛みを大音量のスピーカーに例えた時、リリカは隣の隣の部屋の感覚です。自分の部屋にスピーカーがあれば耐えられないほどうるさいですが、隣の部屋だとうるさいけど耐えることが出来、さらに隣の部屋だと「大きな音がなってるな」ぐらいにまで音が小さくなります。
もし突然痛みが暴れだしても、リリカの場合には隣の部屋で痛みが止まるわけです。かなり痛いですが、身動きは出来なくはないぐらいです。

ところがタリージェの場合には、大音量のスピーカーにこたつ布団を7枚ぐらい重ねて同じ部屋にいる感覚です。効いている間は「なんか大きな音してるんだろうな」ぐらいです。
しかし痛みが突然暴れだすと、一気にこたつ布団を蹴り上げる感じで我慢できないぐらいの痛みが襲ってきます。大げさではなく、動きが止まります。運転中とかも本当にヤバかった。

さらになぜか突然強い睡魔に襲われ、仕事中に意識を失うこともありました。ただタリージェを服用していた期間には、首に大ダメージを負うことも何度もあり、薬の副作用なのか頚椎ヘルニアによるものなのかは分かりません。

このような状況だったため、医師に相談してタリージェからリリカに薬を戻すことにしました。

今はリリカに戻してから1ヶ月以上が経ち、だいぶ楽になっています。
痛みが完全になくなることはありませんが、やはり痛みが暴れ出した時に耐えられるかどうかの違いは大きいです。

人によってはタリージェの方が効くらしいのですが、私の場合にはやはりタリージェよりリリカの方が合っているようです。

2日連続の発作(2)

昨日、1月24日の送迎車内でのこと。私は首をやられた。

11月に何度もやられてはいたが、12月には一度もそのようなことがなく1月に入ってからも他の人の運転の車で大事なかったため、その日も運転する人を信用し、左の後部座席に乗ってしまった。

最初から運転が荒かった。まず2回、固まった雪の段差を速度を落とさぬまま突入、私はうめき声をもらすもスピードは緩まず、凹んだ道路もそれほど速度も落とさず突入し激痛が走り声を上げる。さらに凸凹道でもスピードを緩めてはくれずうめき続け、凸凹道での3度目の衝撃で耐えきれなくなり、

「ちょっと待って!止まって!!」

と叫んだ。車が止まりきる前に私は道路に転がり落ちた。たぶん痛みに耐えきれずにドアによりかかった状態で、ドアノブに何かに引っかかって開いたのだと思う。足からではなく頭から転がり落ちたからだ。

転がり落ちた私は車から遠ざかろうとした。そのまま遠ざかろうとして横に転がったのだと思う。後から気付いたが、転がった先がくぼみで水たまりになっていたようだ。

3人乗っていた内の一人が降りてきてこう言った。

「どうしてそういうことをするんだ!?」

その意味を瞬時に理解した。つまりは、私が荒い運転のせいで事故の後遺症の発作に襲われたのではなく、私にはそもそも事故の後遺症などなく痛がっているのもウソで、ウソのために通院し薬も飲んでいる、とその人は思っているのだと。でなければ「どうしてそうなった?」、あるいは「どうした?」と言うはずだ。

私が痛みから逃れようとしていたことなどもウソで、ワザと騒ぎを起こして職場を見出している、とその人は思っているのだろう。だから私が首の状態が悪くて車に乗れない時にも声を掛けることもしなかったのだと思う。これまでただの一度も。

だから私は「どうするんだ?」と言うその人の言葉に耳を貸さずに、その場に残ることを選択した。ウソつき呼ばわりする人を信用するよりも、倒れたままでいる方がマシだと思えたからだ。

残りの二人が車を降りたかどうかも分からない。身動きも取れずに首も動かせず、何も見えなかったからだ。

そのまま車は走り去り、事務所への連絡もしてもらえないまま、私はしばらくそのままでいた。おそらく10分かそこらだろうが、痛みがわずかにおさまり右腕を動かせるようになった時になって、初めてくぼみにはまり込んでいることに気がついた。

少しして、後から来た人に見つけられそこから助け出された。前日よりも酷い状態で、首~左肩~左腕と左半身全てが動かない状態だ。首が上下左右に全く動かない状態で、しかも今回は腰も曲がった状態で固まっており、立っても正面が見えない。目だけを上に向けて、辛うじて数10cm程度、前が見えるぐらいしか視野がない。

さらには左半身だけでなく、右腕~右手にかけても痺れている。薬指と小指から肘の上にかけてで、感覚も怪しい。私の左半身に常時あるような触覚の鈍さ~無さと同じだ。

そのような状態でも左脚を引きずりながら、 同僚に助けられながらで、なんとか着替えて車に乗り込む。この段階で脚の硬直が辛うじて運転席に乗り込めるぐらいになっていた。しかし首が動かないので左右確認が出来ないし、前傾姿勢なので視野の3分の2がダッシュボードだ。危険でとても運転できない。

しばらく休んでいたら首が左には少し回るようになり、体も激痛に耐えれば少しだけ左右に振れるようになったため、速度を出さずに運転開始。普段1時間と少しの道のりを、途中休みながら3時間かけてなんとか帰宅。料理できないだろうと思って途中で買ってきた弁当などを食べることも出来ずに、ベッドに倒れ込み力尽きそのまま意識を失った。

健康な人には私がワザとやっているようにしか見えないのかも知れない。でもだれも好き好んでこんな体になどならないし、そんな真似もするはずがないと、なぜ思いを巡らせてはくれないのだろう…

加害者が得をし被害者がバカを見るこの国では、そもそも無理な話なのかも知れないが…

2日連続の発作(1)

一昨日、1月23日の会社帰り、買い物のためにスーパー、ユニバース福地店によった。

11月に職場内の送迎車で何度も首を痛めたり、さらには転げ落ちて凍死しかけたりしたものの、その後は特に大きなダメージもくらわずにおりました。もちろん毎日の痛みはありますし、ここ2ヶ月ほどは特に突然竹串か杭をさされたような激しい痛みが多発していましたが…

ところがこの日の突然の激痛は、これまででも一番のものでした。

精肉売り場の前で突然左肩~左背中の辺りを痛みに襲われました…動けません…右手にカゴを持ったまま痛みの箇所を押さえることもできません…身動き一つとれません…

少ししてかろうじて歩けるぐらいになり、精肉売り場よりは邪魔にならないと思われた通路対面のチルド売り場に移動した。そこで右手からカゴを床に落とし(体を曲げられないので床に静かに置くことが出来ない)、右手で左肩を押さえる。

多くの客が私を不審に思ったのか、ジロジロ見ながら避けて通る。しかし声を掛ける人は誰ひとりとしていない。おそらく商品補充のために何度か通りかかっているであろう店員でさえ素通りだ。人なんてそんなものだ。

どのぐらい立ちすくでいたのだろう…おそらく10分ぐらいはいたと思うが、ようやく少し体を動かせることが出来た。

痛みが特に激しいのは左肩の後ろ、背中側で、それ以外にも首、左脇腹、左腕に強い痛みがある。動かないのは左肩~左腕にかけてと、左の上半身。左脚も膝が上がらない、足首や股関節も動きが悪い状態になっている。首の可動範囲も狭いようだ。

このような状態のため、床のカゴを拾うことが出来ない。持ち手が立ったままの状態にも関わらず、腰が曲げられないために届かない。人の体は左右どちらかの腰が曲がらないとどっちも曲がらないからだ。

仕方がないので右足でカゴを蹴りながらレジに行く。本当はセルフレジの方が片腕にはありがたいのだが、レジ台にカゴを乗せられないので仕方なく有人レジに並び、店員にカゴを拾ってもらう。もちろんこの間も、周りの客は人をキチガイを見るかのようにジロジロと見ている。

店員は私が片腕が動かず歩きもおかしい事に気付いたようで、カゴを袋詰め用の台に持っていってくれた。サイフからカードを出すのにもたついていると取ろうとしてくれたが、それは断って自力でなんとかした。それ以上に袋に商品を詰めることが難しいことはやはり想像だにできなかったようで、その辺りには何も言わなかった。私は惣菜や豆腐などを入れるのに使う小さなビニール袋のロールが設置している器具に持参の袋を引っ掛け、時間を書けながらも何とか商品を詰め込んだ。

左膝が抜けて転倒しないように左脚を曲げずに引きずりながらお店を後にしようとすると、その左側を追い抜いてぶつかりかけながら他の客が追い抜いていった。わざわざ自動ドアのある狭い場所で追い抜く必要がどこにあるのだろうか? だがそのような行為をする人はとても多い。自分がぶつかられても平気だから、相手にぶつかりそうになっても気にもとめない。そしてもしぶつかっても、謝りもしないで逃げていく…私は実際にそのような経験も何度もさせられている。

そして帰宅後、ベッドに倒れ込んで意識を失った。

昔みたいに精神的にだけでも救われる可能性があることを知らなければ、ただただ諦めているだけで済んだのに…

せめてそのような時にやり返す権利を、誰か与えて欲しい。右腕、右脚だけで投げ落とす技は持っているから、それができれば私の痛みの半分でも返してやれるかもしれないから…

あのままだと良くて低体温症だったと思う

昨日の帰り、会社内でのこと。
事務所からの途中で転倒し、そのまま1時間ほど地面の上に大の字になっていた。

事務所から移動する車から降りる際、降りれる自信がちょっとなかった。
その車両は始めてるのもので2列目の座席がスライドせず3列目がとても狭く、左足の感覚が無いため足を上手く動かせず引き抜くことが出来ない。
転倒の恐れがあったため捕まることが出来る場所を探すが何もない。仕方ないので運転席ドアノブを右手で掴むがドアが開き、それに引きずられるように横に回転しながら地面に転倒した。

『やはり』、と思った。車内で2列め座席を左膝にぶつけられ、荒い運転で首も痛め、さらに隣に座った人の肘打ちを左腕に受けていたからだ。

同僚が声をかける。
同僚「どうすればいい?」
私「どうしようもない」
同僚「分かった、帰るから」
そう言ってその場にいた同僚二人は去っていった。

実際問題発作等が発生してすぐは激痛で触られるのも辛いことが多く、今回のはその感触から首と左腕がやられていることは分かった。しかし少しして落ち着けば這いずって動ける可能性がある。
だから大して心配もしていない人にそばにいられても不快だし、どうせまた『嘘』だと思われるぐらいなら一人で苦しんだほうがマシだと思った。

あと二人、事務所にまだ残っているのは知っている。その二人に発見される可能性がまだ残されている。

ひとまず体がどうなっているかをチェックした。
首は…意外に動く。動かせないわけではないらしい。
右半身に以上は無く、やはり問題は左半身。
左腕…麻痺して動かず。強い痺れが左の首~肩~腕~指先を覆っていて感覚もない。
左脚…動かず。感覚なし。痺れは感じない。
左腕と左脚を触ってみようとするが、ここで体が捻られないことに気付く。
やばい…胴体の左側も動かなくなっている可能性がある…もしそうなら体をよじることも撚ることも曲げることも出来なくなる…人の体は健康な人が思っている以上に左右ありきで動くように出来ていて、胴体の左が動かねば右に問題がなくても胴体そのものが動かせなくなる。寝返りも起き上がりも出来なくなる。
その予感は当たっていて、まったく体が動かせない。地面に背中を付けたまま右腕と右足をバタつかせるしか出来ない。
不運にも、近くに掴んでよじ登れるような掴めれるようなものもない。せめて立てればなんとか歩けるかもしれないのだが…

このままある程度動けるようになるまで、このぐらいの状態だと経験上最低でも3時間、下手すれば半日。3時間でも体が冷えすぎて動けなくなっているかもしれないし、朝日が拝める頃には低体温症をはるかに超えているのかもしれない。

普通の人は地面に寝たことなどないだろうから分からないと思う。
地面は人の熱を奪う。特に今の季節は何時間も地面に寝転んでいれば風邪を引くなどというレベルではなく、用意に低体温症にもなるし、凍死だって不思議ではない。

べつにそれもいいかなと思った。

2008年に事故に遭い、後遺症に悩まされ、金もなく何年も暖房無しで暮らし、病院代を稼ぐために無理して働こうとしても交通事故に遭ったことを理由に断られる。
肉体労働はダメだと意思に言われていたがそんな仕事しかなく、いやそれすらほとんどなく、やっと就いた仕事でも何度も倒れて迷惑を掛けた。
借金ばかりが膨らんで、今の会社に務めるようになって何事も無ければ長い期間を掛けてだけれども返済できる可能性が見えてきた。しかしそれまで体が保つのかには自信がない。
他に聞いたことがないような症状ばかりで私を嘘つき呼ばわり、仮病や詐病呼ばわりする人もいる。同僚にもいるし、医療関係者にもそれはいる。
だから死んでもいいかなと思った。ちゃんと眠れるならそれもいいと思った。

どんどん体が冷えていく。おそらく左腕と左脚はとんでもなく冷たくなっているでさろう。普段からして冬場はそうなのだから、この時期の青森の山の中の夜は冬と大差はないのだから、なっていないほうがおかしい。
車のローンとか借金を返しきらずに死ぬのは申し訳ないし、家もゴミ屋敷のような状態で残すのはすまないと思うが、これはもう私だけの力では助からない可能性が高いとしか思えない。
試しに車を叩いてみる。誰も来ない。
そう言えば右手に泥の感触があったけど、車に手形が付いていないか見てみる…いや、見れない。首が右に曲がらない。
上下と左には動くけど、右には動かない。時間経過で回復どころか悪化しているかもしれない。

まぁいいか。
右半身がどんどん冷たくなってくるのが分かるが、左半身は何も感じない。動かそうとすれば痛むだけ、痛むだけで動きもしない。
死んだら仕事にも穴を空けるな、申し訳ない。
「会いたい」
と言葉が出た。たまに勝手に口から出る。「痛い」「苦しい」「辛い」そして「会いたい」。
こんなになって死ぬのも怖くないのに、そんなことが口から出て悔しかった。病院にも行ってないくせに。

ここで死ねば会社に迷惑がかかると思った。
助からなくてもいいけれど、いちお助けを求めるふりをしなくてはと思った。
私は車と車の間に倒れている。残っている二人に気付かれない可能性がある。
かと言って何が出来るだろう…カバンは車内で手元には何もない。車道に投げるものすら…いや、眼鏡と腕時計と長靴がある。
運転している人に気付いてもらえそうなのは、サイズ的には長靴。光の反射を考えると眼鏡や腕時計にも可能性はあるが、踏み潰されるだけの可能性が大だ。

右足を曲げて右手が長靴に届いた。変な場所にいかないように慎重に脱いで手元に。
頭上の車道に目掛けて投げるが、近過ぎは見えないし、遠すぎても気付いてもらえない。
でも考えていてもどうにもならないので、勘で投げてみる。どこに飛んでいったかは見えないので分からない。

幸いなのか何なのか、私は転倒から1時間後、残っていた二人に発見されて助かった。長靴がちょうどよいところに落ちてくれていたようだ。

一晩経っていちおう動くようにはなったが、後遺症でただでさえ狭い可動域が普段よりも狭く、そして痛みも酷く、左腕全体の痺れも強いままだ。

いろんなことが悔しい。

冬が近づき体温異常に気付く

冬が近付き気温が下がり、私は異変に気が付いた。

左半身が凍えているように冷たい。
しかし寒気を感じない。
体温を計ってみる。34度前半、低い。
元々見た目によらずそれほど体温は高くない方だ。冬場だと36度を下回ることも珍しくない。
しかしまだ12月になる前のこの時期にこんなに低いのはおかしい。しかも寒気も感じない。というか触った右手が左半身の冷たさを感じているのに、触られた部分は右手の温もりを覚えない。
試しに右脇でも計ってみる。右は36度半ば、左右で2度以上違う。
風邪か何かなのかとも思ったが、それは左右の体温差の説明にはならない。
これまでこんな体温異常はなかった。
これが一時的なものならいいが、そうでないなら左腕や左脚は全く動かなくなるのではないか?
それこそ左半身がもっとおかしくなったり、あるいは腐ったりするのではないか?
そう思えた。

12月になり左脇で計る体温は更に下がり34度を下回った。右脇は36度ちょうどで、やはり温度差は2度以上あった。
1月になり左脇での温度計は32度台突入、右脇での計測も35度後半になり、温度差が3度近くになった。
2月になるとついに31度台にまで落ち込んだ。一番低い時で31度2分。この時右は35度5分ほど。左右で4度以上も体温が違う。
左腕が、左脚が、うまく動かない。年明けから湯たんぽなどを使うようにしていたが、温めても温めてもこの有様だ。どれだけ温めても左半身が凍えてたまらない。

そう言えばこの部屋には暖房がなかった。
交通事故に遭う前、2年ほど祖父母の介護生活をしていて仕事に就けず、お金もなく貯金もなく、ストーブも灯油も買えずにいた。
その介護生活がようやく終わり、なんとか仕事に就いて3ヶ月で事故に遭ったために、暖房器具を買う余裕も貯金をする時間もなかった。
だから数年の間、暖房無しで八戸の冬を断熱材もろくに入っていない古い家で、布団にくるまってしのいできたのだ。

あまりに左が冷たすぎて死ぬかも知れないと思ったが、死ぬことはどうでもよかった。ただこのまま苦しみだけが増していき治りもせず、ただただ痛く辛く悔しく情けないままになることが嫌だった。

それでも3月になると、わずかに体温が上がり始めた。
4月には冬の入り口ぐらいまで、左の体温は戻った。
5月にはなんとか35度を超えるようになり、体温低下によると思われる動きの悪さは改善した。

この時は「事故に遭ってまだ1年目だから」、と自分に言い聞かせていた。
でも10年以上経った今でも左の体温異常は変わらず、私を苦しめ続けている。

頭痛薬

痛みが酷すぎる時には、市販の頭痛薬を使って抑え込む。
一度に2錠、服用間隔は4時間以上で1日3回まで、が正しい容量用法ではあるが、それで抑え込めることはまず無い。その程度で効くぐらいの痛みであればそもそも無理やり我慢できる。

余裕がある時には1回2錠を1時間おきぐらいで何度も繰り返す。たいてい3回目ぐらいから効いてくる。普段は多くても5~6回ぐらいでなんとか耐えられるぐらいの痛みにまで抑え込める。
しかしそれでも効かない時もある。
痛みが酷すぎて立っているだけでも、座っていても横になっても耐えられない程なので、その時にはさらに飲んでしまう。

半月ぐらい前だったか、職場で直の上司とケンカをした際もそうだった。
ただでさえ具合が悪いのに何度も言っているのに必要な道具も買ってもらえず逆ギレまでされ、こちらも感情が溢れてますます痛みが増す。
とてもじゃないが午後の仕事がこなせるレベルの痛みじゃなくなったため、外科で処方されている1日3回飲む薬の4種の3回分とナロンエース12錠を一度に乗り込み、現場に戻る。
昼休みを削って12時45分に現場入り、痛みに必死に耐えながら仕事をしていると13時30分ごろには痛みがほぼ無くなり楽になる。
大量に飲むとフラつきはするが、幸いこれまで意識が低下することはなく済んでいるので、仕事を無理やりするには便利だ。
しかしこの日は違っていた。
14時ごろになり急に吐き気を覚えた。
何度も吐く、朝昼食べてないので胃液ばかりが逆流する。
しばらく吐いて少し落ち着いたところで休憩を入れる。休憩している場合じゃないほど仕事に追われているのに…。
座ってわずかに仮眠し、そして吐き気を覚えてまた吐いて、胃液さえ出なくなったところで無理やり仕事に戻る。吐きさえしなければ意識が落ちない限りは無理やり動く。
なんとか定時までで吐きながらも仕事を間に合わせるが、事務所に戻るまでの間にも何度か吐く。最後には茶色い胃液が出てきた。

内科に通院した日に痛みがあまりに酷すぎて、2時間弱で34錠飲んだこともある。
この時、私には自覚はなかったが、フラフラで危なく見えたらしい。

そもそも近ごろは、頭痛薬を常用に近い状態でないと仕事も辛い状態だ。これは容量用法を守った形でそれが最低ラインなのだから、それ以上を求めるならば過剰摂取する以外に方法がない。
それによるリスクは承知しているが、そうでもしなければ仕事が出来ないし、仕事が出来ないと通院できずにブロック注射や痛み止めの点滴、注射も受けられないし、それなのに私は障害者には該当させてもらえないので健常者として過剰摂取しながら痛みを誤魔化して耐えて苦しんで仕事し続けるしか無い。

もっと効くナニカがあればいいのに、合法なモノは存在しない。

この話をするとすぐに「危険だからすぐにやめろ」と言う人がいる。飲み薬に限らずロキソニンでもフェルビナクでもなんでもそうだ。
だがそう言うのであれば、代替法を教えて欲しい。
腕の骨折の方がマシだと思える痛みが左の首~肩~背中~脇腹を覆い尽くしているこの痛みを、誤魔化せる方法を是非教えて欲しい。
それが出来ないのであれば、見てみぬふりしていればいい。

あなたには迷惑かけていないのだから。

労災二次健診

健康診断で引っかかり、労災二次健診に行ってきた。
そこの健診センターでは、これまでに何度も暴力を振るわれている。

問診票等に頚椎ヘルニアがあること、それより左首、左肩、左脇腹に左腕に症状が出ており、それらの箇所に軽く触れるだけでも痛みや麻痺が発生することを毎回書いている。
しかしそれに目を通さずにレントゲンの機械に左肩を叩きつけるレントゲン技師、左腕では採血も血圧測定も出来ないというのに話を聞かず左腕にそれを強い左腕を麻痺させる看護師、こちらの説明を全て否定し頭ごなしで決めつける医師、それが何度も繰り返されている。
今年、会社にやってきて行った健診では、「触るな」と再三言っていたのにレントゲン技師がナニカした。
何をしたのかは分からない。私の左半身は触覚が鈍く、左首、左肩、左背中、左腕、左脚などはどこを触られているか見ないと分からない。
ただその人の「左をもっと寄せられませんか」という言葉と同時に体に衝撃を感じ、その後変調(左肩~左腕の痛みと硬直)があり、レントゲン技師が私の左腕か左肩か左背中を押すか叩くかしたことだけは分かる。
その状態で超音波検査を受け、左腕に何度も機械を叩きつけられ、こちらが痛みを訴えても無視され、台から転げ落ちるに至った。

毎回のように症状などを書いて注意を促すが、2回に1回は暴力を振るわれる。

だから今回は問診票に、赤いマジックで「勝手にさわるな!」と書いた。
その上で場所を移動するたび「さわるな」と「発作が出る」と言い続けた。
左腕がうまく動かず半ば硬直し寝ている間も肘が曲がったままで起き上がるのにも苦労するが、手を貸そうとする人すら威嚇し遠ざける。
採血が終わればすぐに看護師の手も払い除ける。

もう限界だ。
どうしてストレスを増すようなことばかり言ってくる。

医師に少しだけ話した。
自分の中身が足らないこと。
この体の持ち主は昔に殺され、私は残りかすであること。
ストレスが重なりすぎて、耐えられなくて、内科の薬を飲まないでいること。

今すぐにでも、その日の午後にでも内科に行けと言われた。
紹介状らしきものも渡された。
後日、会社にも結果を郵送するそうだ。
それでも行かねば、会社から出勤停止になるのだろう。

どうしてみんな健康でいたいんだ?
どうしてみんな長生きしたいんだ?
自分で選んだ行動の結果なら、おとなしく受け止めればいい。
私の首のように他の人の愚行のツケを背負わされるでなく、自らの生活のツケであるならば、おとなしく受け止めて死ねばいい。

私はただ、自分で死に場所を選びたいだけだ。
自分で死に場所も選べないのは、悔しすぎる。

昔、一度だけ猫を拾った。
雨の中、低い小さなダンボールの中で、にぃにぃ小さく鳴いていた。
そんな低いダンボールなど乗り越えられるだろうに、ペットボトルよりも小さい猫はただぐったりとして小さく泣いていた
助かるようには見えなかったし、飼うつもり無かったが、そこで濡れて溺れて死ぬよりはと家に持ち帰った。
持ち直したその猫とを少しだけ一緒に暮らして、そしてケンカをしていなくなった。
どこでどう暮らしたのか、いつまで生きていたのか分からないが、あのダンボールの中よりはマシだと素直に思えた。

長生きしたい人はすればいい。
健康でいたいのならそう行動すればいい。
運が良ければそうなれるし、運が悪ければ踏みにじられる、それだけだ。

ただ出来ることなら、その価値観を押し付けないで欲しい。
私は1987年に親に殺され、親に見殺しにされたやつから生じた、残りかすでしかないけれど、だから人が死んでも何も感じないけれど、代わりに人以外が死ぬのも同じぐらいに思えるから、
せめて死に場所は私に決めさせてはくれないか?

希望などいつも目に見えていながら、必死に伸ばした手の先指の先に触れることすら叶わず、ただくるしくてつらくてかなしいだけだから、医療従事者だからといって心配したふりなどしないで欲しい。
差し伸べてくれた手で掴んでくれないなら

そう、また、強く思った。

野菜を作ろうと思った

gg-8と遭遇した時、メンバーの1人にこんな質問をした。

「農家が混植をほとんどしないのはなぜですか?」

すると「やってみればわかるよ」とだけ言われた。

その人は林業関係の人で、その時にいたメンバーの中でも最も農業に親しい人だった。
その人が明言を避け、自分でやってみればいいと言った。

今にして思えばただの素っ気ない対応だったのかもしれない。
しかしその時の私はそうは思わなかった。

そうだ! 自分で野菜を作ってみれば良いんだ!!

私はそれまで、野菜を含めた植物は育てた経験があった。主に庭でだ。
うちの庭は木が生えており、生える草も独特で90%はドクダミとトクサ、という独特な植生。その木の間のドクダミやトクサを刈り取り隙間に植える。肥料も農薬も無しで連作し続けても問題ない、という珍しい状態だった。
言い換えるなら、私にとってはその混植状態が当たり前であって、単一品種のみを育てる普通の農業=慣行農法というものを私は経験したことがなかったのだ。

いちおう知識はある。
無駄に普通じゃない知識がある。
コンパニオンプランツやバンカープランツ、混植、リビングマルチに新聞マルチ、その多くは知識だけで試したことがないことばかりだ。

問題は場所と体。

場所は検索したらすぐに見つかった。
八戸には市民農園があった。
2008年度の募集は終了しているが、2009年の募集が3月頃にあるらしい。そこなら冬季に堆肥を混ぜ込みトラクターで耕した状態で一区画10坪を利用できるらしい。
ということで、場所は八戸市民農園で決定。

あとはこの体だ…

実はgg-8メンバーと遭った翌日、私は寝込んでいた。
二日酔いではない、吐いたゴーヤの影響でもない。首と左腕の痺れと痛みが酷すぎるのだ。
普段、通院しただけでもその翌日には調子が悪くなる。
私はその点に大きな不安を覚えていたが、そのような状態だからこそリハビリとして野菜づくりをしてみようという結論に至った。どうせこの体ではどこも雇ってはくれないだろうから。

翌年、私は八戸市民農園を借り、この体のリハビリと農家が混植をほとんどしない理由の追求を始めることを決意した。