事故当日の診察

八戸赤十字病院に搬送されたのは私を含めて3名だった。
順にレントゲンを撮ることとなったのだが、私はかなり長い時間長椅子で待たされた。そう感じただけなのかも知れないが、吐き気があるとも伝えてあるし、なぜ後回しにされたのだろうか?と今でも疑問に思う。
とにかく順番が来るまで、ただただ痛みに耐えるしかなかった。
レントゲンを待つ間に看護師から質問をされ、体温計を渡される。しばらくしてレントゲン撮影に呼ばれた。
レントゲン撮影を終えると、当直の医師の元へと通される。

医師に向かって痛い箇所や今までの症状を告げる。
いきなり衝撃があり、気がついたらシートが壊れて天井を向いていたこと。
首と右腕に酷い痛みがあり、救急車で運ばれる途中で吐き気を覚えたこと。

医師からレントゲン写真の説明を受ける、「見たところ異常はない」とのことだった。
しかしその医師は外科は専門ではないとのことで、「交通事故は後日症状が出ることもよくあるから、必ず明日、外科に診てもらいに来てくれ」とのことだった。また、「急に具合が悪くなったらいつでもすぐに病院に来い」とも。

そして用心のためにと首にコルセットを巻かれた。正直苦しかったが、「これをしていれば何かあっても首にはダメージがいかない」という説明を受け、嫌々ながらも装着した。

診察を終えると加害者から謝罪を受けた。
彼は「車も身体も、もちろんこちらで全て支払ますので」と言い頭を下げた。
職業を聞くと公務員、それも教師ということだったので、その時の私は愚かにも彼の言葉を信用した。
地方では公務員は高給取りであり、また社会的にも責任がある教師という立場からもちゃんと保証してくれるだろう、と思ったのだ。それには、もし仮に保険でカバー出来ない場合でも、きっと本人が何とかしてくれるだろう、という考えも含まれていた。
またこの時点では私の過失はまだ確定していなかったが、私の車は完全に停止していることからこちらに過失はない事故だと思っており、向こうが保証してくれるのは当然に思えた。

そうこうしていると、今度は警察官に声を掛けられ事情を聞かれた。
そこで、加害者からはまた後で連絡をもらうということにした。

警察官には事故当時のことを聞かれる。
信号待ちをして停車していたら衝撃を感じ、気がついたら追突されていたことを話す。
警察官は「完全に停止していたか?」「前の車との車間距離は?」などと聞かれる。
私は「完全に停止していた」「前の車との詳細な距離は分からないが、普通に信号待ちをする時ぐらいの距離だ」とありのままを答えた。

事情聴取らしきものを受け、それを受けたという署名などを済ませると、「君の車がまだ現場にいるから、何とかしてもらえないか」と言われた。

この時まで、私は車のことなどまるで頭になかった。猛烈な痛みと具合の悪さでそれどころではなかったからだ。
急ぎパレットを購入したスズキのお店に電話する、事情を説明しレッカーを出してもらい、自分の任意保険にも連絡をしてもらった。

それが終わり実家に迎えに来てもらうように電話していると、加害者がまた声を掛けてきた。
しきりに謝る彼をかわいそうと思ったわけではないが…あの車は年老いた祖父母の通院にも役立つようにと選んだ車であり、「祖父母が乗っている時でなくてよかった」という思いもあった私は、それほど責める気にはなれなかった。

いや、違う。

その時はまだ、「私は不幸にも事故にあったが、車も相手側が全額なんとかしてくれるようだし、身体も元に戻るし、仕事にもすぐに戻れる」と考えていたのだ。
被害者側はけして取り戻せない大きな傷を与えられ被害者の方が加害者よりも大きな負担を、罪もないのにずっと強いられるのだと、気付いていなかったのだ。
交通事故とは加害者が得をし、被害者がバカを見るものだと、知らなかったのだ。

私の苦しみは増していく…

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