あのままだと良くて低体温症だったと思う

昨日の帰り、会社内でのこと。
事務所からの途中で転倒し、そのまま1時間ほど地面の上に大の字になっていた。

事務所から移動する車から降りる際、降りれる自信がちょっとなかった。
その車両は始めてるのもので2列目の座席がスライドせず3列目がとても狭く、左足の感覚が無いため足を上手く動かせず引き抜くことが出来ない。
転倒の恐れがあったため捕まることが出来る場所を探すが何もない。仕方ないので運転席ドアノブを右手で掴むがドアが開き、それに引きずられるように横に回転しながら地面に転倒した。

『やはり』、と思った。車内で2列め座席を左膝にぶつけられ、荒い運転で首も痛め、さらに隣に座った人の肘打ちを左腕に受けていたからだ。

同僚が声をかける。
同僚「どうすればいい?」
私「どうしようもない」
同僚「分かった、帰るから」
そう言ってその場にいた同僚二人は去っていった。

実際問題発作等が発生してすぐは激痛で触られるのも辛いことが多く、今回のはその感触から首と左腕がやられていることは分かった。しかし少しして落ち着けば這いずって動ける可能性がある。
だから大して心配もしていない人にそばにいられても不快だし、どうせまた『嘘』だと思われるぐらいなら一人で苦しんだほうがマシだと思った。

あと二人、事務所にまだ残っているのは知っている。その二人に発見される可能性がまだ残されている。

ひとまず体がどうなっているかをチェックした。
首は…意外に動く。動かせないわけではないらしい。
右半身に以上は無く、やはり問題は左半身。
左腕…麻痺して動かず。強い痺れが左の首~肩~腕~指先を覆っていて感覚もない。
左脚…動かず。感覚なし。痺れは感じない。
左腕と左脚を触ってみようとするが、ここで体が捻られないことに気付く。
やばい…胴体の左側も動かなくなっている可能性がある…もしそうなら体をよじることも撚ることも曲げることも出来なくなる…人の体は健康な人が思っている以上に左右ありきで動くように出来ていて、胴体の左が動かねば右に問題がなくても胴体そのものが動かせなくなる。寝返りも起き上がりも出来なくなる。
その予感は当たっていて、まったく体が動かせない。地面に背中を付けたまま右腕と右足をバタつかせるしか出来ない。
不運にも、近くに掴んでよじ登れるような掴めれるようなものもない。せめて立てればなんとか歩けるかもしれないのだが…

このままある程度動けるようになるまで、このぐらいの状態だと経験上最低でも3時間、下手すれば半日。3時間でも体が冷えすぎて動けなくなっているかもしれないし、朝日が拝める頃には低体温症をはるかに超えているのかもしれない。

普通の人は地面に寝たことなどないだろうから分からないと思う。
地面は人の熱を奪う。特に今の季節は何時間も地面に寝転んでいれば風邪を引くなどというレベルではなく、用意に低体温症にもなるし、凍死だって不思議ではない。

べつにそれもいいかなと思った。

2008年に事故に遭い、後遺症に悩まされ、金もなく何年も暖房無しで暮らし、病院代を稼ぐために無理して働こうとしても交通事故に遭ったことを理由に断られる。
肉体労働はダメだと意思に言われていたがそんな仕事しかなく、いやそれすらほとんどなく、やっと就いた仕事でも何度も倒れて迷惑を掛けた。
借金ばかりが膨らんで、今の会社に務めるようになって何事も無ければ長い期間を掛けてだけれども返済できる可能性が見えてきた。しかしそれまで体が保つのかには自信がない。
他に聞いたことがないような症状ばかりで私を嘘つき呼ばわり、仮病や詐病呼ばわりする人もいる。同僚にもいるし、医療関係者にもそれはいる。
だから死んでもいいかなと思った。ちゃんと眠れるならそれもいいと思った。

どんどん体が冷えていく。おそらく左腕と左脚はとんでもなく冷たくなっているでさろう。普段からして冬場はそうなのだから、この時期の青森の山の中の夜は冬と大差はないのだから、なっていないほうがおかしい。
車のローンとか借金を返しきらずに死ぬのは申し訳ないし、家もゴミ屋敷のような状態で残すのはすまないと思うが、これはもう私だけの力では助からない可能性が高いとしか思えない。
試しに車を叩いてみる。誰も来ない。
そう言えば右手に泥の感触があったけど、車に手形が付いていないか見てみる…いや、見れない。首が右に曲がらない。
上下と左には動くけど、右には動かない。時間経過で回復どころか悪化しているかもしれない。

まぁいいか。
右半身がどんどん冷たくなってくるのが分かるが、左半身は何も感じない。動かそうとすれば痛むだけ、痛むだけで動きもしない。
死んだら仕事にも穴を空けるな、申し訳ない。
「会いたい」
と言葉が出た。たまに勝手に口から出る。「痛い」「苦しい」「辛い」そして「会いたい」。
こんなになって死ぬのも怖くないのに、そんなことが口から出て悔しかった。病院にも行ってないくせに。

ここで死ねば会社に迷惑がかかると思った。
助からなくてもいいけれど、いちお助けを求めるふりをしなくてはと思った。
私は車と車の間に倒れている。残っている二人に気付かれない可能性がある。
かと言って何が出来るだろう…カバンは車内で手元には何もない。車道に投げるものすら…いや、眼鏡と腕時計と長靴がある。
運転している人に気付いてもらえそうなのは、サイズ的には長靴。光の反射を考えると眼鏡や腕時計にも可能性はあるが、踏み潰されるだけの可能性が大だ。

右足を曲げて右手が長靴に届いた。変な場所にいかないように慎重に脱いで手元に。
頭上の車道に目掛けて投げるが、近過ぎは見えないし、遠すぎても気付いてもらえない。
でも考えていてもどうにもならないので、勘で投げてみる。どこに飛んでいったかは見えないので分からない。

幸いなのか何なのか、私は転倒から1時間後、残っていた二人に発見されて助かった。長靴がちょうどよいところに落ちてくれていたようだ。

一晩経っていちおう動くようにはなったが、後遺症でただでさえ狭い可動域が普段よりも狭く、そして痛みも酷く、左腕全体の痺れも強いままだ。

いろんなことが悔しい。

冬が近づき体温異常に気付く

冬が近付き気温が下がり、私は異変に気が付いた。

左半身が凍えているように冷たい。
しかし寒気を感じない。
体温を計ってみる。34度前半、低い。
元々見た目によらずそれほど体温は高くない方だ。冬場だと36度を下回ることも珍しくない。
しかしまだ12月になる前のこの時期にこんなに低いのはおかしい。しかも寒気も感じない。というか触った右手が左半身の冷たさを感じているのに、触られた部分は右手の温もりを覚えない。
試しに右脇でも計ってみる。右は36度半ば、左右で2度以上違う。
風邪か何かなのかとも思ったが、それは左右の体温差の説明にはならない。
これまでこんな体温異常はなかった。
これが一時的なものならいいが、そうでないなら左腕や左脚は全く動かなくなるのではないか?
それこそ左半身がもっとおかしくなったり、あるいは腐ったりするのではないか?
そう思えた。

12月になり左脇で計る体温は更に下がり34度を下回った。右脇は36度ちょうどで、やはり温度差は2度以上あった。
1月になり左脇での温度計は32度台突入、右脇での計測も35度後半になり、温度差が3度近くになった。
2月になるとついに31度台にまで落ち込んだ。一番低い時で31度2分。この時右は35度5分ほど。左右で4度以上も体温が違う。
左腕が、左脚が、うまく動かない。年明けから湯たんぽなどを使うようにしていたが、温めても温めてもこの有様だ。どれだけ温めても左半身が凍えてたまらない。

そう言えばこの部屋には暖房がなかった。
交通事故に遭う前、2年ほど祖父母の介護生活をしていて仕事に就けず、お金もなく貯金もなく、ストーブも灯油も買えずにいた。
その介護生活がようやく終わり、なんとか仕事に就いて3ヶ月で事故に遭ったために、暖房器具を買う余裕も貯金をする時間もなかった。
だから数年の間、暖房無しで八戸の冬を断熱材もろくに入っていない古い家で、布団にくるまってしのいできたのだ。

あまりに左が冷たすぎて死ぬかも知れないと思ったが、死ぬことはどうでもよかった。ただこのまま苦しみだけが増していき治りもせず、ただただ痛く辛く悔しく情けないままになることが嫌だった。

それでも3月になると、わずかに体温が上がり始めた。
4月には冬の入り口ぐらいまで、左の体温は戻った。
5月にはなんとか35度を超えるようになり、体温低下によると思われる動きの悪さは改善した。

この時は「事故に遭ってまだ1年目だから」、と自分に言い聞かせていた。
でも10年以上経った今でも左の体温異常は変わらず、私を苦しめ続けている。

頭痛薬

痛みが酷すぎる時には、市販の頭痛薬を使って抑え込む。
一度に2錠、服用間隔は4時間以上で1日3回まで、が正しい容量用法ではあるが、それで抑え込めることはまず無い。その程度で効くぐらいの痛みであればそもそも無理やり我慢できる。

余裕がある時には1回2錠を1時間おきぐらいで何度も繰り返す。たいてい3回目ぐらいから効いてくる。普段は多くても5~6回ぐらいでなんとか耐えられるぐらいの痛みにまで抑え込める。
しかしそれでも効かない時もある。
痛みが酷すぎて立っているだけでも、座っていても横になっても耐えられない程なので、その時にはさらに飲んでしまう。

半月ぐらい前だったか、職場で直の上司とケンカをした際もそうだった。
ただでさえ具合が悪いのに何度も言っているのに必要な道具も買ってもらえず逆ギレまでされ、こちらも感情が溢れてますます痛みが増す。
とてもじゃないが午後の仕事がこなせるレベルの痛みじゃなくなったため、外科で処方されている1日3回飲む薬の4種の3回分とナロンエース12錠を一度に乗り込み、現場に戻る。
昼休みを削って12時45分に現場入り、痛みに必死に耐えながら仕事をしていると13時30分ごろには痛みがほぼ無くなり楽になる。
大量に飲むとフラつきはするが、幸いこれまで意識が低下することはなく済んでいるので、仕事を無理やりするには便利だ。
しかしこの日は違っていた。
14時ごろになり急に吐き気を覚えた。
何度も吐く、朝昼食べてないので胃液ばかりが逆流する。
しばらく吐いて少し落ち着いたところで休憩を入れる。休憩している場合じゃないほど仕事に追われているのに…。
座ってわずかに仮眠し、そして吐き気を覚えてまた吐いて、胃液さえ出なくなったところで無理やり仕事に戻る。吐きさえしなければ意識が落ちない限りは無理やり動く。
なんとか定時までで吐きながらも仕事を間に合わせるが、事務所に戻るまでの間にも何度か吐く。最後には茶色い胃液が出てきた。

内科に通院した日に痛みがあまりに酷すぎて、2時間弱で34錠飲んだこともある。
この時、私には自覚はなかったが、フラフラで危なく見えたらしい。

そもそも近ごろは、頭痛薬を常用に近い状態でないと仕事も辛い状態だ。これは容量用法を守った形でそれが最低ラインなのだから、それ以上を求めるならば過剰摂取する以外に方法がない。
それによるリスクは承知しているが、そうでもしなければ仕事が出来ないし、仕事が出来ないと通院できずにブロック注射や痛み止めの点滴、注射も受けられないし、それなのに私は障害者には該当させてもらえないので健常者として過剰摂取しながら痛みを誤魔化して耐えて苦しんで仕事し続けるしか無い。

もっと効くナニカがあればいいのに、合法なモノは存在しない。

この話をするとすぐに「危険だからすぐにやめろ」と言う人がいる。飲み薬に限らずロキソニンでもフェルビナクでもなんでもそうだ。
だがそう言うのであれば、代替法を教えて欲しい。
腕の骨折の方がマシだと思える痛みが左の首~肩~背中~脇腹を覆い尽くしているこの痛みを、誤魔化せる方法を是非教えて欲しい。
それが出来ないのであれば、見てみぬふりしていればいい。

あなたには迷惑かけていないのだから。

労災二次健診

健康診断で引っかかり、労災二次健診に行ってきた。
そこの健診センターでは、これまでに何度も暴力を振るわれている。

問診票等に頚椎ヘルニアがあること、それより左首、左肩、左脇腹に左腕に症状が出ており、それらの箇所に軽く触れるだけでも痛みや麻痺が発生することを毎回書いている。
しかしそれに目を通さずにレントゲンの機械に左肩を叩きつけるレントゲン技師、左腕では採血も血圧測定も出来ないというのに話を聞かず左腕にそれを強い左腕を麻痺させる看護師、こちらの説明を全て否定し頭ごなしで決めつける医師、それが何度も繰り返されている。
今年、会社にやってきて行った健診では、「触るな」と再三言っていたのにレントゲン技師がナニカした。
何をしたのかは分からない。私の左半身は触覚が鈍く、左首、左肩、左背中、左腕、左脚などはどこを触られているか見ないと分からない。
ただその人の「左をもっと寄せられませんか」という言葉と同時に体に衝撃を感じ、その後変調(左肩~左腕の痛みと硬直)があり、レントゲン技師が私の左腕か左肩か左背中を押すか叩くかしたことだけは分かる。
その状態で超音波検査を受け、左腕に何度も機械を叩きつけられ、こちらが痛みを訴えても無視され、台から転げ落ちるに至った。

毎回のように症状などを書いて注意を促すが、2回に1回は暴力を振るわれる。

だから今回は問診票に、赤いマジックで「勝手にさわるな!」と書いた。
その上で場所を移動するたび「さわるな」と「発作が出る」と言い続けた。
左腕がうまく動かず半ば硬直し寝ている間も肘が曲がったままで起き上がるのにも苦労するが、手を貸そうとする人すら威嚇し遠ざける。
採血が終わればすぐに看護師の手も払い除ける。

もう限界だ。
どうしてストレスを増すようなことばかり言ってくる。

医師に少しだけ話した。
自分の中身が足らないこと。
この体の持ち主は昔に殺され、私は残りかすであること。
ストレスが重なりすぎて、耐えられなくて、内科の薬を飲まないでいること。

今すぐにでも、その日の午後にでも内科に行けと言われた。
紹介状らしきものも渡された。
後日、会社にも結果を郵送するそうだ。
それでも行かねば、会社から出勤停止になるのだろう。

どうしてみんな健康でいたいんだ?
どうしてみんな長生きしたいんだ?
自分で選んだ行動の結果なら、おとなしく受け止めればいい。
私の首のように他の人の愚行のツケを背負わされるでなく、自らの生活のツケであるならば、おとなしく受け止めて死ねばいい。

私はただ、自分で死に場所を選びたいだけだ。
自分で死に場所も選べないのは、悔しすぎる。

昔、一度だけ猫を拾った。
雨の中、低い小さなダンボールの中で、にぃにぃ小さく鳴いていた。
そんな低いダンボールなど乗り越えられるだろうに、ペットボトルよりも小さい猫はただぐったりとして小さく泣いていた
助かるようには見えなかったし、飼うつもり無かったが、そこで濡れて溺れて死ぬよりはと家に持ち帰った。
持ち直したその猫とを少しだけ一緒に暮らして、そしてケンカをしていなくなった。
どこでどう暮らしたのか、いつまで生きていたのか分からないが、あのダンボールの中よりはマシだと素直に思えた。

長生きしたい人はすればいい。
健康でいたいのならそう行動すればいい。
運が良ければそうなれるし、運が悪ければ踏みにじられる、それだけだ。

ただ出来ることなら、その価値観を押し付けないで欲しい。
私は1987年に親に殺され、親に見殺しにされたやつから生じた、残りかすでしかないけれど、だから人が死んでも何も感じないけれど、代わりに人以外が死ぬのも同じぐらいに思えるから、
せめて死に場所は私に決めさせてはくれないか?

希望などいつも目に見えていながら、必死に伸ばした手の先指の先に触れることすら叶わず、ただくるしくてつらくてかなしいだけだから、医療従事者だからといって心配したふりなどしないで欲しい。
差し伸べてくれた手で掴んでくれないなら

そう、また、強く思った。

野菜を作ろうと思った

gg-8と遭遇した時、メンバーの1人にこんな質問をした。

「農家が混植をほとんどしないのはなぜですか?」

すると「やってみればわかるよ」とだけ言われた。

その人は林業関係の人で、その時にいたメンバーの中でも最も農業に親しい人だった。
その人が明言を避け、自分でやってみればいいと言った。

今にして思えばただの素っ気ない対応だったのかもしれない。
しかしその時の私はそうは思わなかった。

そうだ! 自分で野菜を作ってみれば良いんだ!!

私はそれまで、野菜を含めた植物は育てた経験があった。主に庭でだ。
うちの庭は木が生えており、生える草も独特で90%はドクダミとトクサ、という独特な植生。その木の間のドクダミやトクサを刈り取り隙間に植える。肥料も農薬も無しで連作し続けても問題ない、という珍しい状態だった。
言い換えるなら、私にとってはその混植状態が当たり前であって、単一品種のみを育てる普通の農業=慣行農法というものを私は経験したことがなかったのだ。

いちおう知識はある。
無駄に普通じゃない知識がある。
コンパニオンプランツやバンカープランツ、混植、リビングマルチに新聞マルチ、その多くは知識だけで試したことがないことばかりだ。

問題は場所と体。

場所は検索したらすぐに見つかった。
八戸には市民農園があった。
2008年度の募集は終了しているが、2009年の募集が3月頃にあるらしい。そこなら冬季に堆肥を混ぜ込みトラクターで耕した状態で一区画10坪を利用できるらしい。
ということで、場所は八戸市民農園で決定。

あとはこの体だ…

実はgg-8メンバーと遭った翌日、私は寝込んでいた。
二日酔いではない、吐いたゴーヤの影響でもない。首と左腕の痺れと痛みが酷すぎるのだ。
普段、通院しただけでもその翌日には調子が悪くなる。
私はその点に大きな不安を覚えていたが、そのような状態だからこそリハビリとして野菜づくりをしてみようという結論に至った。どうせこの体ではどこも雇ってはくれないだろうから。

翌年、私は八戸市民農園を借り、この体のリハビリと農家が混植をほとんどしない理由の追求を始めることを決意した。

やかん

人それぞれ、やかんの大きさが違う。

私のやかんのおおきさは小さい、と周りには思われている。

でも違う。
私のやかんは注ぎ口が極端に狭く、外に出そうとしても沸騰した水がなかなか注がれないのだ。

本体はおそらく大きいと思う。
だからいつまで経ってもなかなか冷めない。
一度限界まで溜まってしまえばなかなか冷めず減らないので、その間にまた増やされれば溢れて自分を、周りを火傷させる。

1つのことが3ヶ月は冷めずに苛立っている。
周りには記憶力がないのか?
それとも加害者特有の自己保身の忘却か?

すぐに感情的になるって?
24時間365日寝ても覚めても痛みに痺れに不感に渇きに凍えに悔しさに苛まれ続けているのに、いつ怒りを冷ませばいいのだ?

少しでもマシになる為の手段を否定され拒否され離れられ途方にくれているのに、これ以上どうしろというのだ?

私のやかんには熱湯が沸騰し続け溢れている。
注ぎ口は極端に狭く溢れる熱湯で火傷している。
電柱を殴り血を流しこぶしを腫れさせて、それでもまた殴り続ける。

そんなことやめろ、なんて言わないで欲しい。
それとも代わりに殴られてくれるのか?
殴るより投げの方が得意だが、死ぬまで投げさせ続けてくれるのか?

踏みとどまるための代替行為を否定しないで欲しい。
どうせ他人事なのだから、あなたらは目を背け見ないふりすればいいでしょう?

出来ないのではなく、あなたがしたくないだけなのだと思う自分がいる。
なら溢れないように耐えようとする言葉を、行為を、約束をしないで欲しかった。

くやしい

私はまたまだ信じてしまっている。
こんなこと滅多にないのに、その僅かなケースに陥れば私は逃げられない。

いつまで踏みとどまれるかな
テレビで見る殺人犯の報道に、その行動に、犯人側に共感を覚える自分がいる。

なのに約束を守ろうと踏みとどまろうとする自分が溢れた熱湯で傷付いている。

だからまた仕方ないから、周りには壁を作るんだ。
だからまた自分の体を削るんだ。
踏みとどまっているうちになんとか自分を殺さなきゃ、なにか起こしてもし万が一あの人がなにか思う前に、終らせたい。

人に話せば楽になるのだろうか

人に話せば楽になるという、という人もいる。
でも必ずしもそうでないことを私は知っている。

そもそも人は、自分で経験したことのないことはなかなか信じてくれない。分かったふりをしていても、何か気に入らない小さなキッカケさえあれば、すぐに『嘘つき』呼ばわりしてくる。疑惑の目を向けてくる。

私の症状などは、他の交通事故被害者でも効いたことがないようなものだ。
頚椎の第7番にヘルニアがあるのに左腕のみならず左脇腹や左脚にまで症状が出ていること、脳梗塞の症状かと思うような左顔面の引きつりや言葉が出なくなること、さらには左半身の多くで触覚が薄いあるいは感じないことや気温が分からないことなど例を上げればキリがないが、最たるものに、左半身と右半身で体温が違うことが上げられる。

右脇が35度で左脇が31度、これが私の体温が一番低かった時の体温だ。冬場のことでここまで極端なのは稀だが、今でも冬場は右脇35度、左脇33度代ぐらいは珍しくない。
夏場はこれが逆になる。右脇で36度後半で、左脇が39度になる。
右手で触ると、冬場は左腕や左脚、左の胸や左の腹まで右より冷たいのが実感できる。しかし夏場が逆に熱がこもった感じで不安を覚える。左半身が汗をかきづらいのも知っている。
これに加えて、左腕をはじめとする左半身に発作が出ると、一気に左側の体温が下がっていくことも実感している。右手で握っているその間にもどんどんと左腕が冷えていく。

だがこのような症状、私は聞いたことがない。誰の人だって同じで、誰に言っても初耳と言う。

残念だが、人間の多くは自分の経験したこと以外は信じないし、イメージすることも難しい。
だからマイノリティである時点で、人に話しても共感してもらえず楽になれない、それどころか信じてもらえず嘘つき扱い、あるいは『病んでいる』の一言で片付けられて放棄される、それがオチだとそう経験している。
だから基本的に、話すだけ無駄なのだ。楽になるどころか苦痛が増えるだけなのだ。

そして私は、なぜか分からないが、最初に出会った時から全て信じている人が極少数存在する。今まで生きてきて二人だけ、それ以外は本当は信じていない。

ただ私は自分の中身が足らないことを強く実感している。
実感しているからこそたどり着いた答えは、「しっぺ返し戦略」に近いものだ。
本当に信じられる人などめったに会えない。1年前に見つけてしまった人にも嫌われ、もうそんな人は現れないだろう。
だからこそ信じていない人に対しても、信じていると自分に嘘を付き相手が裏切らない限り自分からは裏切らないで生きることにしている。

でもニセモノの信じている人には何を話しても例え裏切られなくても、私は楽にはなれない。
信じていないから、ルールで裏切らないから信じているように振る舞うだけだから、ただただ負荷が増えていく。

なのに本当に信じている人には、わずかに話すだけで心が楽になる。
内容がボロボロで酷いものでの、その人に話すだけで救われる。せいぜい翌日ぐらいまでだけれども、衝動を抑えて踏みとどまれる。

けれどもね、誰もそんな面倒には関わりたくないんだよ。
「カウンセラーじゃないから」
「仕事だから」
「他の人も同じようにしてくれるよ」
そんなの意味がない。
肩書や職業や容姿なんて関係ない。もしかしたら性別も人かどうかも生き物かどうかも関係ないのかも知れない。
ただ私が何故か信じられた人、その人と話す時だけ、私は自分が存在しているように感じられる。それ以外はずっと、足らなくて渇いて自分がいることも信じられなくなる。

理屈じゃない、私にもなぜか分からない。
最初に見た時からもあったし、1年前のは声を聞いただけでそう思った。

だから、人と話しても楽になんかならないんだよ。
信じられる人なんていなければ、逢わなければ、周り全てが疑うだけで済むならば絶望に浸っていられたのに。 例えマイナスだらけでも、プラスがなければそれは当たり前でマイナスだと実感しなくていいから。
プラスを知ってしまうことは、もう人に話しても楽になんてならないって知ること。

助かる方法、踏みとどまる方法、それを知っていて手に入らないから余計に、そうじゃない人に話しても楽にはならないんだよ。

1年は360日

私の1年間は360日です。

私は交通事故の治療のために、未だに病院通いです。毎月5回以上、年に60回以上病院です。
1回につき平均で約2時間かかります。お尻に痛み止めの注射、そして痛み止めの点滴、それから電気治療が9箇所、マイクロ波治療を2箇所にレーザー治療1箇所、それからマッサージ。あと月に3~4回ぐらい神経ブロック注射、です。

つまり1年のうち、120時間以上を交通事故の後遺症の治療に費やしているわけです。薬局も合わせると+6時間ぐらいかな。市販薬も併用しているので、そこの購入まで含めると合計で6日分の時間ぐらいは浪費している気がするけれど…

とにかく、最低でも1年に120時間=5日間は、私は普通の人よりも時間が少ないのです。

これが自分で起こした事故だとか、誰のせいでもない事故だとかならばまだ諦めもつきます。
しかし他人の起こした事故、こちらの過失がゼロの事故なのですから、毎年5日間=120時間を加害者に奪われているのと変わらない状態です。

現在の仕事を時給換算すると約1000円ちょいなので、12万円分以上を奪われていると言えなくもありません。
おまけに実際には年間の交通事故後遺症の治療費・薬代が12万円以上なので、もう24万円以上を毎年加害者に奪われている気分になります。

まだ完治したならば、あるいは将来的に完治するならばね、もっと寛容にもなれるでしょう。
でも私の後遺症は悪化していますし、このまま自然に治る可能性は無いそうです。手術しても失敗すればさらに酷い状態になる可能性があるそうですよ。

だからこんなことを言っては、思ってはいけないのですが、私はどうしても思うんですよ。

事故も事件も加害者が得をする、ってね。

例え加害者に悪意がなくとも、その奪った人生…仕事や健康、金銭、人間関係、その他諸々の全ては帰ってはきません。
しかし「加害者にも未来がある」と言って加害者を養護し、被害者にはある程度少しだけ応援したらあとは勝手に生きていけとばかりに投げ捨てる、それが現実だと思っています。

私が毎年5日間を、12万円超を加害者に奪われる現象は死ぬまで続く予定です。悔しいね。

gg-8との遭遇

gg-8からのお誘いを受けて、飲み会に参加した。
会場は八戸市中心街の三日町、現在八戸ポータルミュージアムはっちが建っている場所。その時はまだはっちの建設工事が始まったばかりで、高い金属フェンス(というか金属板)に囲まれた工事現場の敷地内はビアガーデンのような場所になっていた。

どこにいるのだろうと辺りを見渡していると、一人の女性がこちらに向かって大きく手を振っている。
近付いて話し掛けると、その人がgg-8のリーダーのHさんだった。
面識は無いし私はネットでは顔出ししていないので何故分かったのか不思議だったが、どうやらこれはほぼ中心街関係者しか集まらない場所らしく、たいていの人は知り合いで顔馴染み。
そこに知らない顔の私が来たので声を掛けた、ということらしい。

そのテーブルには複数の男女が集まっていた。
まずは女性が二人、教師をしているという。
男性の一人は森林関係の人、一人は建築関係らしい。
リーダーは地元FM局などでリポーターのようなことや司会などをしている人物らしい。

私はgg-8の活動について詳しく話を聞いた。

ゲリラガーデニングを名乗ってはいるが、基本的に地権者や関係者の許可を得て活動しているとのこと。
メンバーの多くは仕事持ちのため、夜に活動することが多いとのこと。
ネット上ではブログとmixiで情報発信や交流をしているということ。
種や苗は地元で園芸などのお店をやっているパセリー菜が協力してくれてること。
現在(当時)はりんご箱で作ったgg-8オリジナルプランターを中心街をメインに展開中とのこと。
この隠れビアガーデンの工事現場金属フェンスの足元にもプランターを設置しネットを張ってゴーヤを植え、一面をゴーヤで埋め尽くす計画であること、などなど。

一通り話を聞くと「gg-8の活動に参加しないか?」と誘われた。

正直、かなり迷った。
体が動くかどうかの不安、それがどうしても拭えない。
その場での即答は避けたが、私は結局この歳の秋ぐらいからgg-8の活動に徐々に参加していくことになる。

事故後、初めての楽しい時間だった。

帰り道、初めて食べたゴーヤが体に合わなかったらしく吐いた。ゴーヤだけ未消化で出てきた。

左脚麻痺

left左脚が麻痺して動かなくなった。

今日は仕事を無理して昼休憩削ってまでやって間に合わせたのだが、帰りの送迎車に乗り込む時に転倒した。車内で。

周りには計5人いたけれど、誰も助けない、誰も声すら掛けない。そんなもんです。
どうせ理由も知らずにまた勝手に「わざとらしく転んで」とか「ホントは後遺症なんてないくせに」とか思っていると考えなければ、5人もいて1人も声掛けすらしない、なんてありえないと私は思うけど、この国の人ではこれが常識なんだろうねきっと。

今回は珍しく、首、肩、背中、脇腹、左腕には出ないで左脚だけに症状が出た。
完全に硬直で微動だにしない、とまではいかないけれど、それでもももやふくらはぎの筋肉は固くなったままで、膝が曲がらないし足首も曲がらない。感覚ももちろん怪しい(常時)。
付け根はかろうじて僅かに動くので左脚を引きずりながら歩けるし、真っ直ぐで硬直なので階段や段差も左脚を常に下にしておけばこなせる。
服の着替えも床に置いてなんとか足乗せてズボンやら何やら引きずり上げるのだけれども、そもそも脚が上がらないので納戸もズボンに引っかかるし、ロッカーに掴まり体を傾け足を乗せたはいいが、感覚ないし動かないので何かが引っかかってなかなか上がらない。たぶん指かかかとなんだろうけれども、どれなのかの感覚が薄くて分からない。
苦労して何分も掛けてズボンを履いたが、靴を履くのも苦労したが、それでも車までたどり着いたが…

左脚が曲がらないとね、ドアに足が引っかかって乗れないのよ。
少し膝や足首が動き出せばなんとか運転席にねじ込んでしまえるんだけどさ、それが出来ずに今30分経過かな。アホみたいだけど待つしかない、乗れる程度に足が動き出すまで。

傍目にはただの変人に映っているんだろうね。
悔しくて辛くてストレスばかりが増えていく。それがまた回復を遅らせる。血圧も高いままでももとふくらはぎがパンパンで脚をうごかせてくれない。

ホント、悔しいね。少しはマシになる方法を見つけたのに、それには見下されるだけで手を伸ばしても届かないから私は助からない。最初、なんで私より先に手を伸ばしてきたのだろう…

パンドラの箱とやらには希望が残ったらしいが、そんなもの残らなければ絶望に包まれ諦め続けられたのにね。
夢や希望や可能性なんて、時には呪いにしかならないのにね。

あと何時間経ったら車に乗れるだろう…
どうしても助けて欲しいと思ってしまう。無駄なのにね。